DIARY
上海出張
日本の家具ブランドとして上海で展開してほしいとのオファーをいただいて、商談というよりはお互いの信頼関係の確認をしに亀井と2人で中国に行ってきた。結果は「トラブルがあったら悪いのは俺たちだ」と思えるような最高に素敵な人たちで、今秋に開催される上海デザインショーで出品させてもらえる事になりそうだ。この話の始まりはインスタグラムに載せたこの写真が切っ掛けになる。まずこれがインスタグラムジャパンに取り上げてもらってドカンと拡散された。それで、「日本にかわいい家具職人がいる」と武内マイちゃんが中国のnetで話題になったらしい。それを切っ掛けにKOMAを知った家具職人の夫婦が台湾から技術交流に来てくれた。その夫婦と木工関係で知り合いだったのが今回のご縁に繋がったコウさんだ。11月の初めだったろうかKOMAshopから工房に電話があった。上海で木工教室を運営しているという2人が今ショップに来ていて、急だけどこれから工房を見学したいと言っている。普段はお断りすることも多いが、ちょうど作業も一段落しているタイミングだったこともあって工房にコウさん達がやってきた。日本の内装大手企業で10年努めていたコウさんは日本語が堪能でコミュニケーションには困らない。日本の木工技術が大好きで鉋などの道具もコレクションしているそうで、家具の作り方、鉋や刀などの道具の使い方などひととおり説明してずいぶん熱心に聞いて体験してくれた。数時間だがお互いに楽しく技術交流ができた。すると「実は今日来た目的は他にもあるんです」とコウさん。「中国でKOMAブランドを展開しないか」とのことだ。特に海外だとダマされるなんて聞くけど俺たちなんてダマすメリットもないだろう。楽しそうだから二つ返事で快諾した。無い知恵しぼって考えてみてもKOMAに失って困るものが見つからない。たまたまの偶然とタイミングが重なっただけのただありがたい話で、それならとりあえず中国に行ってみよう!というわけだ。赤く光る漢字のネオン看板が並ぶ夜の通りに立つと中華圏に来たのだと実感する。ギラギラに装飾された観光フェリーに混ざって錆びた貨物船が行き交う運河の対岸に見えるレンガ造りの強堅で落ち着いた町並みは元はイギリス領地だったと教えてくれた。細い通りを挟んだ左隣は全く雰囲気を変えて、洒落た時計台が印象的な元フランス領地が広がる。そのずっと左側には近代的な高層ビル群が賑やかに並んでいる。夜の冷たい霧雨も手伝ってかその古今東西が交わる美しさが異様に感じて少し恐くなった。上海にはファッションも車もインテリアも世界のハイブランドが東京よりも大きな店を構えている。家具やインテリアだけの大きなショッピングモールがいくつもあって家具屋の多さに驚いた。人々のマナーが悪いなんて全く無い。細かい事はお互いに気にせずおおらかであたたかい。そう言えばコウさんが何者かということも詳しく知らずに上海に来ていたが、都市開発なども手掛ける台湾の財閥みたいな大きな会社の人だという事がわかった。木工教室と言っても機械設備もしっかりしていてショップやカフェが併設された立派な施設だ。インテリア専門の超デカいショッピングモールの最上階で中国の木工の歴史ミュージアムも手掛けていて「このモールはどこでも好きに使っていいよ〜」なんて言ってくれた。なんでウチみたいな小さい会社に声かけてくれたの?と聞いたら、「KOMAの家具は誰も真似できないから」と言ってくれた。そうでないと中国ではあっさりパクられて商売にならないそうだ。今、中国では国を挙げて職人の手技を大切する動が強まっていて中国全土から300人の様々なジャンルの工芸師が選抜されている。それらを取材し紹介するメディアの役割もコウさんたちのプロジェクトの一つだ。それにしてもその工芸師の方々の技術力はどれを見てもハンパじゃなく素晴らしい。そしてエルメスなどのハイブランドがプロデュースして次々と新しいカタチになって展開され始めている。透けるほどに薄い白磁のお皿。指ではじいた音の反響で薄さを計りながら創られている。「コーン」と響くその音色は楽器のように美しく店内のBGMとしても使われていたほどだ。表情豊かで美しい翡翠(ひすい)の茶器。1ミリにも満たない薄い竹で複雑に組み込まれた香炉。家具も沢山あってそれはそれは素晴らしかった。超ハイレベルな工芸の技と世界のハイブランドのセンスがガッチリ手を組んだこのレベルの商品を常設して扱っている店は東京では見たことがない。世界のトップのしっぽの先がチラリと見えた気がした。自分たちの未熟さが知れて腹の底から震え出すほど嬉しかった。新しいチャレンジはいつも初心にかえらせてくれる。まずは今秋の上海デザインショーへの出品を目指して準備開始だ。とにかくコウさん達には何から何まで本当にお世話になった。行きたいところは様々手配して何処へでも連れて行ってくれて上海の家具市場のピンからキリまで見せてくれた。毎食のご飯は信じられないくらい豪華に振る舞ってくれて朝まで酒にも付き合ってくれた。自分たちのやっている事、これからやりたい事を静かだけど熱をこめて一生懸命に話してくれた。そうやって伏し目がちに訥々と話す彼らを見て、なんだか素敵だなぁと思った。最終日にコウさんの木工教室の生徒さんを中心に行ったワークショップは皆さん興味津々で凄く喜んでもらえて嬉しかった。次回は春にコウさん達が東京に来る予定だ。心からのおもてなしができるように今からプランを考えておこうと思う。 Given an offer to sell KOMA products in Shanghai as a Japanese furniture brand, Kamei and myself visited China to confirm the reliable relationship to the offerer rather than...
上海出張
日本の家具ブランドとして上海で展開してほしいとのオファーをいただいて、商談というよりはお互いの信頼関係の確認をしに亀井と2人で中国に行ってきた。結果は「トラブルがあったら悪いのは俺たちだ」と思えるような最高に素敵な人たちで、今秋に開催される上海デザインショーで出品させてもらえる事になりそうだ。この話の始まりはインスタグラムに載せたこの写真が切っ掛けになる。まずこれがインスタグラムジャパンに取り上げてもらってドカンと拡散された。それで、「日本にかわいい家具職人がいる」と武内マイちゃんが中国のnetで話題になったらしい。それを切っ掛けにKOMAを知った家具職人の夫婦が台湾から技術交流に来てくれた。その夫婦と木工関係で知り合いだったのが今回のご縁に繋がったコウさんだ。11月の初めだったろうかKOMAshopから工房に電話があった。上海で木工教室を運営しているという2人が今ショップに来ていて、急だけどこれから工房を見学したいと言っている。普段はお断りすることも多いが、ちょうど作業も一段落しているタイミングだったこともあって工房にコウさん達がやってきた。日本の内装大手企業で10年努めていたコウさんは日本語が堪能でコミュニケーションには困らない。日本の木工技術が大好きで鉋などの道具もコレクションしているそうで、家具の作り方、鉋や刀などの道具の使い方などひととおり説明してずいぶん熱心に聞いて体験してくれた。数時間だがお互いに楽しく技術交流ができた。すると「実は今日来た目的は他にもあるんです」とコウさん。「中国でKOMAブランドを展開しないか」とのことだ。特に海外だとダマされるなんて聞くけど俺たちなんてダマすメリットもないだろう。楽しそうだから二つ返事で快諾した。無い知恵しぼって考えてみてもKOMAに失って困るものが見つからない。たまたまの偶然とタイミングが重なっただけのただありがたい話で、それならとりあえず中国に行ってみよう!というわけだ。赤く光る漢字のネオン看板が並ぶ夜の通りに立つと中華圏に来たのだと実感する。ギラギラに装飾された観光フェリーに混ざって錆びた貨物船が行き交う運河の対岸に見えるレンガ造りの強堅で落ち着いた町並みは元はイギリス領地だったと教えてくれた。細い通りを挟んだ左隣は全く雰囲気を変えて、洒落た時計台が印象的な元フランス領地が広がる。そのずっと左側には近代的な高層ビル群が賑やかに並んでいる。夜の冷たい霧雨も手伝ってかその古今東西が交わる美しさが異様に感じて少し恐くなった。上海にはファッションも車もインテリアも世界のハイブランドが東京よりも大きな店を構えている。家具やインテリアだけの大きなショッピングモールがいくつもあって家具屋の多さに驚いた。人々のマナーが悪いなんて全く無い。細かい事はお互いに気にせずおおらかであたたかい。そう言えばコウさんが何者かということも詳しく知らずに上海に来ていたが、都市開発なども手掛ける台湾の財閥みたいな大きな会社の人だという事がわかった。木工教室と言っても機械設備もしっかりしていてショップやカフェが併設された立派な施設だ。インテリア専門の超デカいショッピングモールの最上階で中国の木工の歴史ミュージアムも手掛けていて「このモールはどこでも好きに使っていいよ〜」なんて言ってくれた。なんでウチみたいな小さい会社に声かけてくれたの?と聞いたら、「KOMAの家具は誰も真似できないから」と言ってくれた。そうでないと中国ではあっさりパクられて商売にならないそうだ。今、中国では国を挙げて職人の手技を大切する動が強まっていて中国全土から300人の様々なジャンルの工芸師が選抜されている。それらを取材し紹介するメディアの役割もコウさんたちのプロジェクトの一つだ。それにしてもその工芸師の方々の技術力はどれを見てもハンパじゃなく素晴らしい。そしてエルメスなどのハイブランドがプロデュースして次々と新しいカタチになって展開され始めている。透けるほどに薄い白磁のお皿。指ではじいた音の反響で薄さを計りながら創られている。「コーン」と響くその音色は楽器のように美しく店内のBGMとしても使われていたほどだ。表情豊かで美しい翡翠(ひすい)の茶器。1ミリにも満たない薄い竹で複雑に組み込まれた香炉。家具も沢山あってそれはそれは素晴らしかった。超ハイレベルな工芸の技と世界のハイブランドのセンスがガッチリ手を組んだこのレベルの商品を常設して扱っている店は東京では見たことがない。世界のトップのしっぽの先がチラリと見えた気がした。自分たちの未熟さが知れて腹の底から震え出すほど嬉しかった。新しいチャレンジはいつも初心にかえらせてくれる。まずは今秋の上海デザインショーへの出品を目指して準備開始だ。とにかくコウさん達には何から何まで本当にお世話になった。行きたいところは様々手配して何処へでも連れて行ってくれて上海の家具市場のピンからキリまで見せてくれた。毎食のご飯は信じられないくらい豪華に振る舞ってくれて朝まで酒にも付き合ってくれた。自分たちのやっている事、これからやりたい事を静かだけど熱をこめて一生懸命に話してくれた。そうやって伏し目がちに訥々と話す彼らを見て、なんだか素敵だなぁと思った。最終日にコウさんの木工教室の生徒さんを中心に行ったワークショップは皆さん興味津々で凄く喜んでもらえて嬉しかった。次回は春にコウさん達が東京に来る予定だ。心からのおもてなしができるように今からプランを考えておこうと思う。 Given an offer to sell KOMA products in Shanghai as a Japanese furniture brand, Kamei and myself visited China to confirm the reliable relationship to the offerer rather than...
KOMA-1グランプリ
社内デザインコンペなんていったら大げさだが簡易的にそれらしき事をやってみた。定期的な月に一度の飲み会で乾杯から最初の1時間に行う余興だ。ルールはA4の普通紙に1人1案の一発勝負。プレゼン時間は1人3分。優勝賞金1万円。KOMA shopで使う備品や小物から新人でも参加できそうなお題を店長が決めて審査まで行う。大喜利に近い感覚で盛り上がることが目的である。今回は「傘立て」shopの備品と言えどできれば「いくつか作って販売できる物にしたい」ようするに値段をつけたいということだ。プロと趣味との根本的な違いが生じる。こうなると急にものづくりが難しくなる。親方の役割としていろいろ迷ったが第一回はあえて「ムカつく勝ち方」ってのを見せる事にした。世の中の「勝ちにくる人たち」ってどれくらいマジでぶっ潰しにくるか、今後のKOMA-1GPをもっと盛り上げる為に半分遊びだけど真剣勝負の基準になればとの思いからだ。今回はみんなが出してくるアイデアを予想して片っ端から理屈でつめて消去法で排除する提案だ。なんと言ってもテーマはムカつく勝ち方だ。まず条件を考える。傘立てだ。屋外使用の可能性もあり、そもそも木は水との相性が悪い。椅子などのように座り心地などの分かりやすい差別化が出来ない。劣化の可能性が高く組んだり接いだりの加工はNG。狂いやワレ、カビの可能性が高く板を使うのもNG。せっかく手間を掛けて良いモノを作ってもすぐに劣化してしまいクレーム対象になる。また、KOMAにとっては数が出る商材ではないから在庫を抱えるのも、鉄など異素材の外注を使うのもNG。塗装でコーティングというのもKOMAでやる仕事ではない。こうなるとKOMAでつくる傘立ては成立しない。あらゆる面でリスクが高くウチにはそもそも向かない商材だ。それぞれみんな面白かったが予想どおり直球の木製傘立てを提案して来た。これで出揃ったみんなのアイデアは全部NGだ。さあここからが本番。おおトリで俺のプレゼン。少し話が脱線するが、材質の特性だったり予算だったりと理由は様々だが、今回のようにデザインが成立しないという事は珍しくない。そんな時は、例えば「椅子」のデザインではなく「座る道具」のデザインとして考えると幅が広がり、固執しないで発想が自由になる事がある。今回の傘立てはウチが木で作るにはリスクが多いが「傘を置く道具」だったら可能性はいくらでもある。だから「傘立てそのものは作らない」壁に外壁用の両面テープで木の突起を付けてそこに笠の柄をひっかけるだけ。組手も接ぎも無いから壊れない。物が小さいから狂いやワレのリスクが少ない。安価で数年してダメになったら付け替えればいい。お客さんが欲しい寸法や形にオーダーで応えれば良いから在庫リスクも無い。あらゆる面のリスクが回避できる。なんとなくこんなイメージだ。(詳しくは実際にKOMAshopに取り付けてからお伝えします。)何れにしてもジャッジはKOMAshop店長の久美さんだ。だけどもう答えは見えている。売る人にとって劣化などの品質に対するリスクは絶対に避けたい。主力商品でない物の在庫リスクも避けたい。「え〜それだけ〜?一生懸命考えたのに〜!」と肩透かしを食らったような若い衆。「んなもん何回転も考えてのコレなんだよ!笑」これは単純に経験値の差というやつだ。1万時間の法則なんていうのを聞いた事がある。才能を開花させるのに最低限必要な時間だ。毎日8〜10時間で約3年。最低限これをクリアしなければどんな才能も開花しないという事らしい。たった3年で?そりゃよっぽど才能のある人に限ってだと思う。俺の場合もう18年になる。結構みっちり6万時間やってきたつもりだが、その分だけは出来るようになっただけで今のところ才能が開花した様子はない。修行を始めた頃「お前は才能がないから他の仕事をした方が良い」と親方衆からよく言われたが、なるほど納得でその通りなのだろう。だけど続ける根性さえあれば好きなことやってメシが食えるようになる。この18年で知ったことだ。ただ「良い家具が作れるようになりたい」と最初からずっと変わらず今でも同じように思っている。優勝賞金の1万円は「松岡さん会社の経費つかい過ぎ!」武内マイちゃんの一言で、俺の財布に入る前に没収されてしまった。来月のKOMA-1GPのお題は「ゴミ箱」らしい。また本気で勝ちにいこうと思う。写真は、KOMA-1GPと同時に行った佐藤21歳の誕生会。毎回みんなそれぞれ誕生会のプレゼントはかなり気合いを入れる。今回は上着、バッグ、ヘルメット、インテリア小物、オイルライターなど。写真にもあるようにかなり豪華だ。だから「何にするの?もう決めた?」なんて本人にバレないように相談しながらけっこう悩む。貰う方はもちろん選ぶ方も楽しいイベントだから今後も程良く続けていきたいと思っている。 It would be too much to call it as "the design competition in the firm", while we tried to conduct concisely something like that. It has been done...
KOMA-1グランプリ
社内デザインコンペなんていったら大げさだが簡易的にそれらしき事をやってみた。定期的な月に一度の飲み会で乾杯から最初の1時間に行う余興だ。ルールはA4の普通紙に1人1案の一発勝負。プレゼン時間は1人3分。優勝賞金1万円。KOMA shopで使う備品や小物から新人でも参加できそうなお題を店長が決めて審査まで行う。大喜利に近い感覚で盛り上がることが目的である。今回は「傘立て」shopの備品と言えどできれば「いくつか作って販売できる物にしたい」ようするに値段をつけたいということだ。プロと趣味との根本的な違いが生じる。こうなると急にものづくりが難しくなる。親方の役割としていろいろ迷ったが第一回はあえて「ムカつく勝ち方」ってのを見せる事にした。世の中の「勝ちにくる人たち」ってどれくらいマジでぶっ潰しにくるか、今後のKOMA-1GPをもっと盛り上げる為に半分遊びだけど真剣勝負の基準になればとの思いからだ。今回はみんなが出してくるアイデアを予想して片っ端から理屈でつめて消去法で排除する提案だ。なんと言ってもテーマはムカつく勝ち方だ。まず条件を考える。傘立てだ。屋外使用の可能性もあり、そもそも木は水との相性が悪い。椅子などのように座り心地などの分かりやすい差別化が出来ない。劣化の可能性が高く組んだり接いだりの加工はNG。狂いやワレ、カビの可能性が高く板を使うのもNG。せっかく手間を掛けて良いモノを作ってもすぐに劣化してしまいクレーム対象になる。また、KOMAにとっては数が出る商材ではないから在庫を抱えるのも、鉄など異素材の外注を使うのもNG。塗装でコーティングというのもKOMAでやる仕事ではない。こうなるとKOMAでつくる傘立ては成立しない。あらゆる面でリスクが高くウチにはそもそも向かない商材だ。それぞれみんな面白かったが予想どおり直球の木製傘立てを提案して来た。これで出揃ったみんなのアイデアは全部NGだ。さあここからが本番。おおトリで俺のプレゼン。少し話が脱線するが、材質の特性だったり予算だったりと理由は様々だが、今回のようにデザインが成立しないという事は珍しくない。そんな時は、例えば「椅子」のデザインではなく「座る道具」のデザインとして考えると幅が広がり、固執しないで発想が自由になる事がある。今回の傘立てはウチが木で作るにはリスクが多いが「傘を置く道具」だったら可能性はいくらでもある。だから「傘立てそのものは作らない」壁に外壁用の両面テープで木の突起を付けてそこに笠の柄をひっかけるだけ。組手も接ぎも無いから壊れない。物が小さいから狂いやワレのリスクが少ない。安価で数年してダメになったら付け替えればいい。お客さんが欲しい寸法や形にオーダーで応えれば良いから在庫リスクも無い。あらゆる面のリスクが回避できる。なんとなくこんなイメージだ。(詳しくは実際にKOMAshopに取り付けてからお伝えします。)何れにしてもジャッジはKOMAshop店長の久美さんだ。だけどもう答えは見えている。売る人にとって劣化などの品質に対するリスクは絶対に避けたい。主力商品でない物の在庫リスクも避けたい。「え〜それだけ〜?一生懸命考えたのに〜!」と肩透かしを食らったような若い衆。「んなもん何回転も考えてのコレなんだよ!笑」これは単純に経験値の差というやつだ。1万時間の法則なんていうのを聞いた事がある。才能を開花させるのに最低限必要な時間だ。毎日8〜10時間で約3年。最低限これをクリアしなければどんな才能も開花しないという事らしい。たった3年で?そりゃよっぽど才能のある人に限ってだと思う。俺の場合もう18年になる。結構みっちり6万時間やってきたつもりだが、その分だけは出来るようになっただけで今のところ才能が開花した様子はない。修行を始めた頃「お前は才能がないから他の仕事をした方が良い」と親方衆からよく言われたが、なるほど納得でその通りなのだろう。だけど続ける根性さえあれば好きなことやってメシが食えるようになる。この18年で知ったことだ。ただ「良い家具が作れるようになりたい」と最初からずっと変わらず今でも同じように思っている。優勝賞金の1万円は「松岡さん会社の経費つかい過ぎ!」武内マイちゃんの一言で、俺の財布に入る前に没収されてしまった。来月のKOMA-1GPのお題は「ゴミ箱」らしい。また本気で勝ちにいこうと思う。写真は、KOMA-1GPと同時に行った佐藤21歳の誕生会。毎回みんなそれぞれ誕生会のプレゼントはかなり気合いを入れる。今回は上着、バッグ、ヘルメット、インテリア小物、オイルライターなど。写真にもあるようにかなり豪華だ。だから「何にするの?もう決めた?」なんて本人にバレないように相談しながらけっこう悩む。貰う方はもちろん選ぶ方も楽しいイベントだから今後も程良く続けていきたいと思っている。 It would be too much to call it as "the design competition in the firm", while we tried to conduct concisely something like that. It has been done...
ADさん
TVの密着番組の打ち合わせに制作会社のスタッフさんが工房に来てくれた。可愛らしい20代前半の女の子だ。名刺にはAD(アシスタントディレクター)と書いてある。普通はディレクターさんのアシスタントとしてついてくるのが読んで字の如くADさんだ。でも今回はADさん1人だけ。「えーと、えーと。。何から話せば。。とにかくこういうの始めてなんです。。」となにやら緊張した様子の彼女。話はこうだ。以前ウチの武内マイちゃんを中心に取り上げていただいた「7ルール」というTV番組をたまたま観たらしい。厳しい職人の男社会で奮闘するマイちゃんと、やはり同様である番組制作の現場で働く自分の姿が重なったようだ。「同じ歳なのに武内さんは活躍しててカッコ良くて、私は下っ端の一番下っ端で、とにかくこのままじゃダメだと思って。。」そこで彼女は一念発起して自ら番組の企画を創ろうと思ったらしい。「誰にも求められてないんです。下っ端の私のチャレンジなんて。」どうせなら自分が影響を受けたKOMAで密着番組を創りたいと考えてくれたらしい。企画を上司にぶつけてみたら「1人で行ってきてみろ」とチャンスを貰えての今日なのだ。なんとも嬉しい話である。そうして打ち合わせが始まった。「KOMAってなにがスゴいんですか?」と彼女。聞かれてもどう答えて良いか分からないタイプの質問にとまどいながら「大量生産と工芸の違いってわかる?」と俺。「う〜ん。。なんとなく。。」「職人が手で創った作品を理解してもらうのって難しくて、、えーと、、一般市場の中で認知してもらえてて、、それには評価とか実績とか必要で、、みたいな?」「すみません。それのどこがスゴいのかわかりません。。」と彼女。「そうだね。。えーとなんだろうな。。。」正直で気持ちがいい。何よりちゃんと自分が理解して上司にKOMAの良さを伝えようとしてくれている熱意が嬉しい。でも説明するのが難しい。こんな調子で2時間ほどの質疑応答と製作の実演などをした。人に理解してもらう難しさをあらためて知って勉強にもなった。数日して彼女から電話がかかってきた。「上司にもっとKOMAのこと伝えたくて!だから追加で質問があるんです!」どうやら彼女の企画書が好評だったようで、一段階上の会議に臨むための追加資料が必要とのこと。「おー!彼女スゲーよ!!」なんだか俺たちKOMAメンバーも盛り上がる。また数日して電話がかかってきた。しかし、なんだか浮かない声。「いい番組が創れそうだ!」上司の評価も上々で次々と段階をクリアしていったそうだ。社長参加の会議まで漕ぎ着けて「よし!これでいこう!」と決まりかけたところで問題発覚。以前にKOMAが取り上げていただいた番組と今回のスポンサーがバッティングするという理由で企画は一瞬で白紙になってしまった。残念だけどチャレンジのほとんどはこんなもんだ。一度の挑戦ぐらいじゃ環境もきっと変わらない。ただ自分の内側で何か少し変わるかもしれない。それが達成感でも敗北感でもそんな事はどっちでもいいのだ。チャレンジの結果を受け入れた経験の積み重ねが環境を変えていくと思う。「下っ端の自分のチャレンジなんて誰からも求められていない」彼女の言葉が印象的だった。少なくとも彼女の上司はその挑戦が嬉しかったはずだが、でも確かにそのとおりだと思った。誰だって最初は下っ端で誰からも期待なんてされない。それでも続けていれば少しずつ期待してくれる人が増えてきて、それに応える責任が自由を与えてくれるような気がする。チャレンジなんてのは、自分が納得できないとか誰かに褒めてもらえたら嬉しいとかそんな理由で勝手にやるもんだ。なにかのせいにしてストレスを溜めるなんて馬鹿々々しいし、諦めてしまうのはもったいない。居酒屋で上司、会社、政治とどこまでもスケールアップしていくグチで盛り上がるオッチャンも夜の街の風情としては悪くないが、なんかスゲー疲れそうだし出来ればそうはならない方が良さそうだ。残念そうな彼女だったが、最後にこんなことを言ってくれた。「松岡さんカッコ良くて!だから私が密着番組を創るからそれまで待ってて下さい!」マジ嬉しすぎる。若いお嬢さんにそんなこと言ってもらえるだけで家具職人やっててよかった。過去が今を創るけど、過去の半分は今が創ると思っている。苦い思い出の半分くらいは今が良ければ笑い話になるからだ。「いつかの彼女にガッカリされないように」それだって十分チャレンジの理由になる。そして本当に実現したときの打ち上げはたいそう盛り上がるだろう。そんな未来を想像できる出会いがあるからやっぱり仕事は面白い。上写真は12月の一週目にしていた仕事の中で一番覚えている事。tie chair2017の特注品を製作中。椅子の仕上げに用いる小鉋や小刀などの刃物の使い方がまた少し進歩できたことを半年ぶりに実感できた。それを武内マイちゃんに教えているところ。 For the discussion about the close cover story of KOMA in TV, a stuff of a program production visited the factory of KOMA. A pretty female in...
ADさん
TVの密着番組の打ち合わせに制作会社のスタッフさんが工房に来てくれた。可愛らしい20代前半の女の子だ。名刺にはAD(アシスタントディレクター)と書いてある。普通はディレクターさんのアシスタントとしてついてくるのが読んで字の如くADさんだ。でも今回はADさん1人だけ。「えーと、えーと。。何から話せば。。とにかくこういうの始めてなんです。。」となにやら緊張した様子の彼女。話はこうだ。以前ウチの武内マイちゃんを中心に取り上げていただいた「7ルール」というTV番組をたまたま観たらしい。厳しい職人の男社会で奮闘するマイちゃんと、やはり同様である番組制作の現場で働く自分の姿が重なったようだ。「同じ歳なのに武内さんは活躍しててカッコ良くて、私は下っ端の一番下っ端で、とにかくこのままじゃダメだと思って。。」そこで彼女は一念発起して自ら番組の企画を創ろうと思ったらしい。「誰にも求められてないんです。下っ端の私のチャレンジなんて。」どうせなら自分が影響を受けたKOMAで密着番組を創りたいと考えてくれたらしい。企画を上司にぶつけてみたら「1人で行ってきてみろ」とチャンスを貰えての今日なのだ。なんとも嬉しい話である。そうして打ち合わせが始まった。「KOMAってなにがスゴいんですか?」と彼女。聞かれてもどう答えて良いか分からないタイプの質問にとまどいながら「大量生産と工芸の違いってわかる?」と俺。「う〜ん。。なんとなく。。」「職人が手で創った作品を理解してもらうのって難しくて、、えーと、、一般市場の中で認知してもらえてて、、それには評価とか実績とか必要で、、みたいな?」「すみません。それのどこがスゴいのかわかりません。。」と彼女。「そうだね。。えーとなんだろうな。。。」正直で気持ちがいい。何よりちゃんと自分が理解して上司にKOMAの良さを伝えようとしてくれている熱意が嬉しい。でも説明するのが難しい。こんな調子で2時間ほどの質疑応答と製作の実演などをした。人に理解してもらう難しさをあらためて知って勉強にもなった。数日して彼女から電話がかかってきた。「上司にもっとKOMAのこと伝えたくて!だから追加で質問があるんです!」どうやら彼女の企画書が好評だったようで、一段階上の会議に臨むための追加資料が必要とのこと。「おー!彼女スゲーよ!!」なんだか俺たちKOMAメンバーも盛り上がる。また数日して電話がかかってきた。しかし、なんだか浮かない声。「いい番組が創れそうだ!」上司の評価も上々で次々と段階をクリアしていったそうだ。社長参加の会議まで漕ぎ着けて「よし!これでいこう!」と決まりかけたところで問題発覚。以前にKOMAが取り上げていただいた番組と今回のスポンサーがバッティングするという理由で企画は一瞬で白紙になってしまった。残念だけどチャレンジのほとんどはこんなもんだ。一度の挑戦ぐらいじゃ環境もきっと変わらない。ただ自分の内側で何か少し変わるかもしれない。それが達成感でも敗北感でもそんな事はどっちでもいいのだ。チャレンジの結果を受け入れた経験の積み重ねが環境を変えていくと思う。「下っ端の自分のチャレンジなんて誰からも求められていない」彼女の言葉が印象的だった。少なくとも彼女の上司はその挑戦が嬉しかったはずだが、でも確かにそのとおりだと思った。誰だって最初は下っ端で誰からも期待なんてされない。それでも続けていれば少しずつ期待してくれる人が増えてきて、それに応える責任が自由を与えてくれるような気がする。チャレンジなんてのは、自分が納得できないとか誰かに褒めてもらえたら嬉しいとかそんな理由で勝手にやるもんだ。なにかのせいにしてストレスを溜めるなんて馬鹿々々しいし、諦めてしまうのはもったいない。居酒屋で上司、会社、政治とどこまでもスケールアップしていくグチで盛り上がるオッチャンも夜の街の風情としては悪くないが、なんかスゲー疲れそうだし出来ればそうはならない方が良さそうだ。残念そうな彼女だったが、最後にこんなことを言ってくれた。「松岡さんカッコ良くて!だから私が密着番組を創るからそれまで待ってて下さい!」マジ嬉しすぎる。若いお嬢さんにそんなこと言ってもらえるだけで家具職人やっててよかった。過去が今を創るけど、過去の半分は今が創ると思っている。苦い思い出の半分くらいは今が良ければ笑い話になるからだ。「いつかの彼女にガッカリされないように」それだって十分チャレンジの理由になる。そして本当に実現したときの打ち上げはたいそう盛り上がるだろう。そんな未来を想像できる出会いがあるからやっぱり仕事は面白い。上写真は12月の一週目にしていた仕事の中で一番覚えている事。tie chair2017の特注品を製作中。椅子の仕上げに用いる小鉋や小刀などの刃物の使い方がまた少し進歩できたことを半年ぶりに実感できた。それを武内マイちゃんに教えているところ。 For the discussion about the close cover story of KOMA in TV, a stuff of a program production visited the factory of KOMA. A pretty female in...
KOMAの目標
前回記事の〆に軽い気持ちで次回は「KOMAの目標」なんて書いてしまったが、KOMAの目標は?あらためて考えると適当な答えが見つからない。代表者としてはよろしくないが、考えに考えて6ヶ月見つからないのだからとりあえずは具体的な目標なんて必要ないという結論に至った。この15年。生き残るための課題や目標をクリアしていく事に懸けてきたように思うが、その結果なにを得て、これからなにを得たいのかがいまいちピンとこない。創業からの相棒である亀井に聞いてみた。「俺らも今年で40だけど、この15年どうだった?」椅子にのけぞりながら頭に手を組んでボケーと天井を眺めている俺の真向かいで眉間にシワを寄せながらキーボードをたたいているような状況でも、嫌な顔ひとつせずに手を止めて付き合ってくれるのが亀井だ。亀井の答えはこうだ。「俺には今のKOMAなんて想像できてなかったし、こんなふうに成れたら良いなぁって夢みたいに思ってた事が出来てるよ!だってそうだろ?!」亀井が笑いながらつづける。「好きな家具が創れて、イイ仕事を沢山貰えて、直営店があって、お客さんは北海道から沖縄、海外からも来てくれて、面接希望の資料がいくつも届いて、賞なんかもいただいて、雑誌にラジオにTVだよ?!最初の頃やってた仕事覚えてる?あそこからの今だよ?想像ついた?笑」言われてみれば確かにそうだ。個人的には、同業の家具職人の方が最近よくKOMAshopに来てくれるというのも凄く嬉しいことだ。もしよかったら隅々まで見てもらいたいし、もし少しでも彼らの家具づくりの刺激になれるなら本望だ。逆にガッカリされないようにもっと頑張ろうと思える。KOMAのスタートなんてヒドイもんだった。「好きな仕事して自由に生きるってカッコ良くね?!」程度のものだった。そんなんだからかすぐに地獄を見た。まず仕事が無いし、あっても安くて徹夜でやっても稼ぎにならない。お互い家族もいるのにメシも家賃もガソリン代すら払う金がなくて何も出来なくなって喧嘩して1年で解散したのだった。もっと思い出した。そもそも会社に勤める事すらまともには出来そうもないと高校生の時には理解していたから結果的に職人になったのだった。もともと選択肢なんてなかった。「確かに。俺らにしては上出来だな。」「そうだよ!本当にありがたいことだな!」と満足げに言う相棒を見ていると、お陰さんでドロドロと溜まっていた澱が下がるのを感じる。やたら感謝感謝というのも胡散臭いが、自分の中の「感謝」という言葉になにか気持ち悪い違和感のようなものが無くなる度に少しは人としてマシになれたような気がする。「目標が見つからない」なんて偉そうに言っているが実はそんなモノは最初から無くて、どうにかギリギリ出来る事をやっていたら知らない間にチャンスもタイミングも誰かが運んできてくれた事ばかりだとあらためて思う。これからも俺たちは、もっともっと良い家具が創れるように技を磨くだけでいい。少し背伸びしたチャレンジをして、当たり前の事がもっと当たり前にできるようになっていけばいいのだ。だから具体的に目標など持つ必要はない。こうなれたら楽しいとか、嬉しいとか、カッコイイとか、それがそのまま目標でいいのだ。「で?楽しみまくったその先は?」と亀井がニヤニヤしている。「野球少年だったらメジャーリーグの殿堂入りだろ?ギター小僧はグラミー賞か?」「お〜!じゃあ俺らみたいな工作小僧は?」と亀井。「家具の世界史にその名を刻むトップブランドの職人集団だろ!やっぱ成り上がった分だけ楽しめそうだろ?」「20年後かな?その時の乾杯はヤバい楽しそうだな〜笑」とやはり亀井は満足げである。昔ばなしと未来のバカ話で楽しい今夜があるのだからそれでイイのだ。とにかく俺たちは四の五の言わずに家具をつくりまくるだけでいい。こんなシンプルなことに半年もかかっちゃったけど、とりあえずはスッキリ解決だ。前回の記事で「次は海外展開スタートだ!」なんて勝手に言っていたら、本当に上海の会社さんから嬉しいオファー。え?マジで?とにかく本当にありがたいっす。楽しそうだからがんばります!話は変わるが、こうして書いているこの記事の目的は親方の目線を通してKOMAの素性を少しでも知ってもらえたら嬉しいということだが、こんなに進まないんじゃそもそもやる意味が無い。今後はその週の印象深かった事をなんとなく書いていこうと思う。 At the end of the last article, I happed to set "Goals of KOMA" as theme of the next blog, I have found it difficult to find them. It...
KOMAの目標
前回記事の〆に軽い気持ちで次回は「KOMAの目標」なんて書いてしまったが、KOMAの目標は?あらためて考えると適当な答えが見つからない。代表者としてはよろしくないが、考えに考えて6ヶ月見つからないのだからとりあえずは具体的な目標なんて必要ないという結論に至った。この15年。生き残るための課題や目標をクリアしていく事に懸けてきたように思うが、その結果なにを得て、これからなにを得たいのかがいまいちピンとこない。創業からの相棒である亀井に聞いてみた。「俺らも今年で40だけど、この15年どうだった?」椅子にのけぞりながら頭に手を組んでボケーと天井を眺めている俺の真向かいで眉間にシワを寄せながらキーボードをたたいているような状況でも、嫌な顔ひとつせずに手を止めて付き合ってくれるのが亀井だ。亀井の答えはこうだ。「俺には今のKOMAなんて想像できてなかったし、こんなふうに成れたら良いなぁって夢みたいに思ってた事が出来てるよ!だってそうだろ?!」亀井が笑いながらつづける。「好きな家具が創れて、イイ仕事を沢山貰えて、直営店があって、お客さんは北海道から沖縄、海外からも来てくれて、面接希望の資料がいくつも届いて、賞なんかもいただいて、雑誌にラジオにTVだよ?!最初の頃やってた仕事覚えてる?あそこからの今だよ?想像ついた?笑」言われてみれば確かにそうだ。個人的には、同業の家具職人の方が最近よくKOMAshopに来てくれるというのも凄く嬉しいことだ。もしよかったら隅々まで見てもらいたいし、もし少しでも彼らの家具づくりの刺激になれるなら本望だ。逆にガッカリされないようにもっと頑張ろうと思える。KOMAのスタートなんてヒドイもんだった。「好きな仕事して自由に生きるってカッコ良くね?!」程度のものだった。そんなんだからかすぐに地獄を見た。まず仕事が無いし、あっても安くて徹夜でやっても稼ぎにならない。お互い家族もいるのにメシも家賃もガソリン代すら払う金がなくて何も出来なくなって喧嘩して1年で解散したのだった。もっと思い出した。そもそも会社に勤める事すらまともには出来そうもないと高校生の時には理解していたから結果的に職人になったのだった。もともと選択肢なんてなかった。「確かに。俺らにしては上出来だな。」「そうだよ!本当にありがたいことだな!」と満足げに言う相棒を見ていると、お陰さんでドロドロと溜まっていた澱が下がるのを感じる。やたら感謝感謝というのも胡散臭いが、自分の中の「感謝」という言葉になにか気持ち悪い違和感のようなものが無くなる度に少しは人としてマシになれたような気がする。「目標が見つからない」なんて偉そうに言っているが実はそんなモノは最初から無くて、どうにかギリギリ出来る事をやっていたら知らない間にチャンスもタイミングも誰かが運んできてくれた事ばかりだとあらためて思う。これからも俺たちは、もっともっと良い家具が創れるように技を磨くだけでいい。少し背伸びしたチャレンジをして、当たり前の事がもっと当たり前にできるようになっていけばいいのだ。だから具体的に目標など持つ必要はない。こうなれたら楽しいとか、嬉しいとか、カッコイイとか、それがそのまま目標でいいのだ。「で?楽しみまくったその先は?」と亀井がニヤニヤしている。「野球少年だったらメジャーリーグの殿堂入りだろ?ギター小僧はグラミー賞か?」「お〜!じゃあ俺らみたいな工作小僧は?」と亀井。「家具の世界史にその名を刻むトップブランドの職人集団だろ!やっぱ成り上がった分だけ楽しめそうだろ?」「20年後かな?その時の乾杯はヤバい楽しそうだな〜笑」とやはり亀井は満足げである。昔ばなしと未来のバカ話で楽しい今夜があるのだからそれでイイのだ。とにかく俺たちは四の五の言わずに家具をつくりまくるだけでいい。こんなシンプルなことに半年もかかっちゃったけど、とりあえずはスッキリ解決だ。前回の記事で「次は海外展開スタートだ!」なんて勝手に言っていたら、本当に上海の会社さんから嬉しいオファー。え?マジで?とにかく本当にありがたいっす。楽しそうだからがんばります!話は変わるが、こうして書いているこの記事の目的は親方の目線を通してKOMAの素性を少しでも知ってもらえたら嬉しいということだが、こんなに進まないんじゃそもそもやる意味が無い。今後はその週の印象深かった事をなんとなく書いていこうと思う。 At the end of the last article, I happed to set "Goals of KOMA" as theme of the next blog, I have found it difficult to find them. It...
再スタート
前回記事から1年空いて再スタートです。昨年の9月に松岡家に赤ちゃんが産まれた。4人目だから「シロウ」でも良かったが次男坊だから「ジロウ」です。長女との歳の差は16歳。39歳にして初孫な気分で、理屈抜きでとにかく可愛い。「ようこそ!一緒に楽しもう!」なんて言いたいが、「残念だったね。一緒に修行しよう」っていうのが仏教的には正しい声の掛け方らしい。昨年になるが、臨済宗だか浄土真宗だかのお坊さんと30分程度の席を共にする時間があった。「また生まれ変わってきて会えたりするんですかね?」なんて訪ねたら「可能性はありますが、亡くなった本人の為にそうならないよう願いましょう」そう言って「輪廻」の話をしてくれた。人が亡くなると「成仏」か「輪廻」の2つの道があるらしい。成仏は「意識」で輪廻は「魂」の概念だそうだ。大前提に「みんな成仏したい」のだが、「オマエはまだダメもう一回修行してこい」と言われ泣く泣く生まれ変わってくるのが輪廻だそうだ。そして、輪廻には必要な修行に応じて6つの領域があるらしい。苦しい順に読んで字のごとくの地獄界。飢え苦しむ餓鬼界。動物の領域である畜生界。闘いの絶えない修羅界。我々の人間界。天上界。成仏出来るまで永遠にどこかの領域に輪廻して修行は続くのだそう。成仏を目指してこの世で修行をしているのだから苦しくて当たり前ということらしい。だから生まれてきた赤ちゃんには「残念だったね。輪廻してきちゃったんだ。一緒に修行に励もう。。。」ってのがお坊さん的に正しい声の掛け方なのだ。だから赤ん坊は泣いて生まれてくる。なんてオチまでつけてくれた。何かをする為ではなくて、ただ修行の為に生まれてきただけ。そりゃ何をやっても上手くいかなくて当たり前だ。さすがは坊主の説教で何だかすごく楽になった。輪廻の6つの領域はいつも人間界のどこかにあるし、自分の中にも6種の心があるように思う。自身のありようで、いつどの領域にでも落ちてしまうわけだが、どこに落ちようが「ま、どうせ修行だし」と思えれば楽なもんだ。ごちゃごちゃ悩んで焦ることの多い昨年だったが、ようやく「まぁこんなもんか」と思えるようになってきた。我が子の誕生はありがたい事に、いつも修行の機会を与えてくれる。2000年、職人修行開始で長女。2003年、KOMA創業で長男。2009年、自社製品展開の準備で次女。その修行のどれもが楽しかったから、やっぱり我が子には「ようこそ!一緒に楽しもう!」と声を掛けようと思う。そして、ジロウが生まれての新たな修行は、本格的な海外展開を目指してスタートです。 Matsuoka family had baby born on September last year. Given 4th children, I may be able to name him as "Sirou", however, as second son, I have named him...
再スタート
前回記事から1年空いて再スタートです。昨年の9月に松岡家に赤ちゃんが産まれた。4人目だから「シロウ」でも良かったが次男坊だから「ジロウ」です。長女との歳の差は16歳。39歳にして初孫な気分で、理屈抜きでとにかく可愛い。「ようこそ!一緒に楽しもう!」なんて言いたいが、「残念だったね。一緒に修行しよう」っていうのが仏教的には正しい声の掛け方らしい。昨年になるが、臨済宗だか浄土真宗だかのお坊さんと30分程度の席を共にする時間があった。「また生まれ変わってきて会えたりするんですかね?」なんて訪ねたら「可能性はありますが、亡くなった本人の為にそうならないよう願いましょう」そう言って「輪廻」の話をしてくれた。人が亡くなると「成仏」か「輪廻」の2つの道があるらしい。成仏は「意識」で輪廻は「魂」の概念だそうだ。大前提に「みんな成仏したい」のだが、「オマエはまだダメもう一回修行してこい」と言われ泣く泣く生まれ変わってくるのが輪廻だそうだ。そして、輪廻には必要な修行に応じて6つの領域があるらしい。苦しい順に読んで字のごとくの地獄界。飢え苦しむ餓鬼界。動物の領域である畜生界。闘いの絶えない修羅界。我々の人間界。天上界。成仏出来るまで永遠にどこかの領域に輪廻して修行は続くのだそう。成仏を目指してこの世で修行をしているのだから苦しくて当たり前ということらしい。だから生まれてきた赤ちゃんには「残念だったね。輪廻してきちゃったんだ。一緒に修行に励もう。。。」ってのがお坊さん的に正しい声の掛け方なのだ。だから赤ん坊は泣いて生まれてくる。なんてオチまでつけてくれた。何かをする為ではなくて、ただ修行の為に生まれてきただけ。そりゃ何をやっても上手くいかなくて当たり前だ。さすがは坊主の説教で何だかすごく楽になった。輪廻の6つの領域はいつも人間界のどこかにあるし、自分の中にも6種の心があるように思う。自身のありようで、いつどの領域にでも落ちてしまうわけだが、どこに落ちようが「ま、どうせ修行だし」と思えれば楽なもんだ。ごちゃごちゃ悩んで焦ることの多い昨年だったが、ようやく「まぁこんなもんか」と思えるようになってきた。我が子の誕生はありがたい事に、いつも修行の機会を与えてくれる。2000年、職人修行開始で長女。2003年、KOMA創業で長男。2009年、自社製品展開の準備で次女。その修行のどれもが楽しかったから、やっぱり我が子には「ようこそ!一緒に楽しもう!」と声を掛けようと思う。そして、ジロウが生まれての新たな修行は、本格的な海外展開を目指してスタートです。 Matsuoka family had baby born on September last year. Given 4th children, I may be able to name him as "Sirou", however, as second son, I have named him...
製造業の苦楽
【製造業の苦楽】ヤリ続けてきた事で賞状をいただくっていうのは素直に嬉しい。何だか子供の頃より大人になってからの方が余計に嬉しく感じるのは、続ける事の難しさと同時にありがたさを知れたからだろう。だから職人として良い時代に生まれたなぁと思う。大親方(89)は戦後から高度成長期を経て、あれが製造業にとって最高の時代だったと言う。モノが無いから作れば売れたらしい。どの時代に生まれても一生懸命に過ごした人にとっては自分が生きた時代がサイコーなんだろう。2000年に社会人になって基本的にいつも不景気と言われているが、それしか知らないから実感がない。俺にとっては今の時代が最高だ。作れば売れる時代なんて面白くない。「モノが無いから売れる」なんて売れる理由としてつまらねえ。「何でもイイんだ。とりあえずそれちょうだい」なんて言われたらちょっと悲しい。どうせなら、「気に入った!」と多くの選択肢の中から見つけて買ってもらえたらスゴく嬉しい。今はモノが溢れ、製造業にとってはモノが売れないと言われるが、ユーザーにとっては海外ブランドから国内の地方産業まで無限の選択肢を得て、こだわりや趣味の幅も大きく広がり、よりワガママにじっくりモノが選べる時代だ。目の肥えた消費者に向けて新しいモノやサービスが次々に出ては消え、目紛しく淘汰されていくが、マーケットそのものは無限に広がっていくようで面白い。その中から選んで買ってもらった一つ一つが本当にありがたいし嬉しい。今は、そんな嬉しいことがたくさん感じられる時代とも言えるのだ。俺みたいな根っからの高慢ちきでも素直にありがたいと思える時代なのだ。角度や尺度は様々あるが、何れにせよ「良いモノを作り続ける」っていうのはいつの時代も難しい。ちょっと前からサステナブルなんてよく聞くが、持続可能ってのは「無理なく」っていうのが大きなキーワードになるのだろう。無理なく健全に歪みなく会社を運営して生き残っていけるなら誰も苦労しない。だから何事も「続ける」っていうのは難しい。小さな製造業が大きなマーケットの中で自立するのは無理の連続だ。時間も金も労力も何にも余裕が無いなかで、何度も失敗しながら自社製品の開発をする。その次は最低限の準備として売れる保証のない在庫ストック分を材料費をはたいて作る。限られた予算を切り詰めながら発信、営業、販促。一銭にもなっていないのに経費ばかりが先行する。超無理で不健全だ。それでも挑戦したいと思えるのは、サイコーに可能性に溢れた楽しい時代だからだ。何事も無理の連続を経て、少しづつマシになっていくものだと思う。マジの職人にしか創れない「本物」を創る家具メーカーとして成長していきたい。だから、一つの家具メーカーとして評価してもらえた今回の受賞は嬉しかった。飛騨産業、天童木工、カンディーハウス、カリモク、アルフレックス、宮崎椅子製作所など名だたる大手メーカーの中に俺たちみたいな小さな家具工房が混ざれた事が嬉しい。それもこれもこの時代のお陰様々だ。 It is purely happy to be awarded for what have been committed to continue. Being awarded when matured would feet more happy compared to the period when I was...
製造業の苦楽
【製造業の苦楽】ヤリ続けてきた事で賞状をいただくっていうのは素直に嬉しい。何だか子供の頃より大人になってからの方が余計に嬉しく感じるのは、続ける事の難しさと同時にありがたさを知れたからだろう。だから職人として良い時代に生まれたなぁと思う。大親方(89)は戦後から高度成長期を経て、あれが製造業にとって最高の時代だったと言う。モノが無いから作れば売れたらしい。どの時代に生まれても一生懸命に過ごした人にとっては自分が生きた時代がサイコーなんだろう。2000年に社会人になって基本的にいつも不景気と言われているが、それしか知らないから実感がない。俺にとっては今の時代が最高だ。作れば売れる時代なんて面白くない。「モノが無いから売れる」なんて売れる理由としてつまらねえ。「何でもイイんだ。とりあえずそれちょうだい」なんて言われたらちょっと悲しい。どうせなら、「気に入った!」と多くの選択肢の中から見つけて買ってもらえたらスゴく嬉しい。今はモノが溢れ、製造業にとってはモノが売れないと言われるが、ユーザーにとっては海外ブランドから国内の地方産業まで無限の選択肢を得て、こだわりや趣味の幅も大きく広がり、よりワガママにじっくりモノが選べる時代だ。目の肥えた消費者に向けて新しいモノやサービスが次々に出ては消え、目紛しく淘汰されていくが、マーケットそのものは無限に広がっていくようで面白い。その中から選んで買ってもらった一つ一つが本当にありがたいし嬉しい。今は、そんな嬉しいことがたくさん感じられる時代とも言えるのだ。俺みたいな根っからの高慢ちきでも素直にありがたいと思える時代なのだ。角度や尺度は様々あるが、何れにせよ「良いモノを作り続ける」っていうのはいつの時代も難しい。ちょっと前からサステナブルなんてよく聞くが、持続可能ってのは「無理なく」っていうのが大きなキーワードになるのだろう。無理なく健全に歪みなく会社を運営して生き残っていけるなら誰も苦労しない。だから何事も「続ける」っていうのは難しい。小さな製造業が大きなマーケットの中で自立するのは無理の連続だ。時間も金も労力も何にも余裕が無いなかで、何度も失敗しながら自社製品の開発をする。その次は最低限の準備として売れる保証のない在庫ストック分を材料費をはたいて作る。限られた予算を切り詰めながら発信、営業、販促。一銭にもなっていないのに経費ばかりが先行する。超無理で不健全だ。それでも挑戦したいと思えるのは、サイコーに可能性に溢れた楽しい時代だからだ。何事も無理の連続を経て、少しづつマシになっていくものだと思う。マジの職人にしか創れない「本物」を創る家具メーカーとして成長していきたい。だから、一つの家具メーカーとして評価してもらえた今回の受賞は嬉しかった。飛騨産業、天童木工、カンディーハウス、カリモク、アルフレックス、宮崎椅子製作所など名だたる大手メーカーの中に俺たちみたいな小さな家具工房が混ざれた事が嬉しい。それもこれもこの時代のお陰様々だ。 It is purely happy to be awarded for what have been committed to continue. Being awarded when matured would feet more happy compared to the period when I was...