DIARY

馬鹿げた一言
本当にありがたいことに凄く沢山の受賞をいただいている。 今のところ日本が13個で海外が10個の合計23個。 きっかけは「どうせなら世界のテッペン目指そう」というなんとも馬鹿げた俺の一言だ。 別に事業拡大とか売上がどうとかではなくて、言葉にするのは難しいが何というか夢とかロマンとか、まぁそんな類いのものだと思う。 そんな戯言に妻が率いるショップチームが立ち上がってくれた。 そこでまず手始めに世界中の賞を獲りまくる事にした。 今までは作品作りも手続きも全て自分1人だったのが、今はショップチームが英訳や事務手続き関連などなど面倒な裏方の全てを行ってくれるから俺は作品を作るだけに専念できる。 そういったチームプレーの結果、海外の賞はたった一年半で10個になった。 そんな役割分担のおかげもあって、俺はショップで接客することはおろか、メールも電話もSNSの投稿などなどの外部とのやりとりを一切やらない。 その分、番頭役として表に立つ妻たちショップチームは、呑気に工房にこもっている俺には感じることのない苦労や苦悩、悔しい思いをする事が少なからずあるようで、まだまだ歴史という説得力を持てない新参者のKOMAが今できることは、実績と評価を積み上げていくことだと結論づけたのだろう。 そんな実直な妻の思惑と馬鹿げた俺の一言がタイミング良く合致して動き出した感じだ。 悔しかったり、悲しかったり、腹が立ったり、そんな時ほど口には出さず、黙ってすべき事をして結果を出す。 かっこいい男はこうあるべきだと妻に教えてもらった今日この頃。 松岡
馬鹿げた一言
本当にありがたいことに凄く沢山の受賞をいただいている。 今のところ日本が13個で海外が10個の合計23個。 きっかけは「どうせなら世界のテッペン目指そう」というなんとも馬鹿げた俺の一言だ。 別に事業拡大とか売上がどうとかではなくて、言葉にするのは難しいが何というか夢とかロマンとか、まぁそんな類いのものだと思う。 そんな戯言に妻が率いるショップチームが立ち上がってくれた。 そこでまず手始めに世界中の賞を獲りまくる事にした。 今までは作品作りも手続きも全て自分1人だったのが、今はショップチームが英訳や事務手続き関連などなど面倒な裏方の全てを行ってくれるから俺は作品を作るだけに専念できる。 そういったチームプレーの結果、海外の賞はたった一年半で10個になった。 そんな役割分担のおかげもあって、俺はショップで接客することはおろか、メールも電話もSNSの投稿などなどの外部とのやりとりを一切やらない。 その分、番頭役として表に立つ妻たちショップチームは、呑気に工房にこもっている俺には感じることのない苦労や苦悩、悔しい思いをする事が少なからずあるようで、まだまだ歴史という説得力を持てない新参者のKOMAが今できることは、実績と評価を積み上げていくことだと結論づけたのだろう。 そんな実直な妻の思惑と馬鹿げた俺の一言がタイミング良く合致して動き出した感じだ。 悔しかったり、悲しかったり、腹が立ったり、そんな時ほど口には出さず、黙ってすべき事をして結果を出す。 かっこいい男はこうあるべきだと妻に教えてもらった今日この頃。 松岡

解決策
数年に一度、デザインや設計のアイデアが何も思い浮かばないことがあって、その度にこのまま尽きてしまうのかと内心ビクビクしている。 この2ヶ月はそんなトンネルの中を舌打ちしながらフラフラしている感じだ。 作り手としてまだまだ50点にも満たないと自覚しているが、何だかいろいろ賞なんかをいただいてどこかホッとしている。 それが野心を忘れさせているのだろうか。 毎日が崖っぷちのサバイバルだった以前と比べればKOMAも安定してきた。 工房も店もスタッフはみんな優秀で明るい未来が見える発展途上はこの上なく楽しい。 そんな状況がハングリーさを失わせているのだろうか。 一応こんなふうに色々考えてみるが果してそれが直接の原因なのか分からず、こんがらがってイライラするばかりだ。 今までの経験上、不安や不満は口にせずただ黙って物づくりに必要な基礎の練習をするという最も地味なことが1番の解決策であるということは学習している。 だからまず刃物を研ぐ。今まで味わったことのない新しい感覚が得られるまでひたすら研ぎ続ける。 次は過去に描いた図面をもう一度描き直す。もう一つ上の領域に定着できるまで何枚も描き続ける。 そしてヘトヘトになるまでサーフィンをして、飽きるまでバイクに乗って、沢山メシを食って、浴びるほど酒を飲んで、寝たいだけ寝る。 そうこうしていると新しいアイデアがムクムクと起き上がってきて、早く物作りがしたくて仕方ないという状態になることが多い。 練習して上手くなるとそれを試してみたくなるし、遊びまくるとイイ加減もうそろそろ仕事がしたくなる。 よく分からないけど多分そういう単純なことなんだと思う。 そんな大義名分を勝手に掲げて、湘南から四国は四万十まで太平洋沿いをトコトコのんびりサーフィンの旅に出ようと決めた今日この頃。松岡 Every few years, I have...
解決策
数年に一度、デザインや設計のアイデアが何も思い浮かばないことがあって、その度にこのまま尽きてしまうのかと内心ビクビクしている。 この2ヶ月はそんなトンネルの中を舌打ちしながらフラフラしている感じだ。 作り手としてまだまだ50点にも満たないと自覚しているが、何だかいろいろ賞なんかをいただいてどこかホッとしている。 それが野心を忘れさせているのだろうか。 毎日が崖っぷちのサバイバルだった以前と比べればKOMAも安定してきた。 工房も店もスタッフはみんな優秀で明るい未来が見える発展途上はこの上なく楽しい。 そんな状況がハングリーさを失わせているのだろうか。 一応こんなふうに色々考えてみるが果してそれが直接の原因なのか分からず、こんがらがってイライラするばかりだ。 今までの経験上、不安や不満は口にせずただ黙って物づくりに必要な基礎の練習をするという最も地味なことが1番の解決策であるということは学習している。 だからまず刃物を研ぐ。今まで味わったことのない新しい感覚が得られるまでひたすら研ぎ続ける。 次は過去に描いた図面をもう一度描き直す。もう一つ上の領域に定着できるまで何枚も描き続ける。 そしてヘトヘトになるまでサーフィンをして、飽きるまでバイクに乗って、沢山メシを食って、浴びるほど酒を飲んで、寝たいだけ寝る。 そうこうしていると新しいアイデアがムクムクと起き上がってきて、早く物作りがしたくて仕方ないという状態になることが多い。 練習して上手くなるとそれを試してみたくなるし、遊びまくるとイイ加減もうそろそろ仕事がしたくなる。 よく分からないけど多分そういう単純なことなんだと思う。 そんな大義名分を勝手に掲げて、湘南から四国は四万十まで太平洋沿いをトコトコのんびりサーフィンの旅に出ようと決めた今日この頃。松岡 Every few years, I have...

仲間
ここ最近KOMAもようやく組織らしきものになってきた様に思う。 亀井と一緒にスタートした18年前は単価の低い請け仕事ばかりで、いくらやっても利益にならず、ボロいワンボックスカーの中で梱包用の毛布にくるまって寝るなんて毎日。 「直営店を持って作品クオリティーの製品づくり」を目標にして修行に励み独立したはずなのに、求められるのはクオリティーよりも安さと速さだった。 取引先の質も最悪で倒産や夜逃げによって数百万の未払いを何度もくらい、その度に自分たちもグラグラとよろけて倒れそうになった。 理想には手が届かないどころか、もう何処にあるのかも見失いそうで悶々とする日々の中、自分ばかりがはずれクジを引かされて苦労をしているように錯覚し周りが見えなくなる。 「どんな時も大切なのは仲間なんだよ!仲間しかねえだろう!」 大先輩のその言葉は今でもずっと鼓膜に張り付いている。 「よく分かんないっすよ。俺は1人でも進めるし」 なんて生意気を返したように記憶している。 「オマエのそういうとこ嫌いじゃないぞ〜」 そう言ってサーフィンに誘ってくれた。 不思議なもので、その言葉への理解が深まるごとに一歩づつ前進するように思う。 良いものづくりがしたい。その意思は修行時代からずっと変わらない。 しかし、それを持続し高めるには製作スキル以外にそれを活かし支える環境が大切で、挙げればキリが無いほどの様々な要素がバランスよく集まって、持続的な良いものづくりの循環がうまれる。 今のKOMAには一人一人が自分の役割を理解し、向上心を持って仲間のために努力できる面々が集まっている。 そうやって苦手を補い得意を伸ばし合えるチームになってきたように感じる。 そんな彼らのおかげで、東京オリンピックや万博など日の丸を背負わせてもらえるシンボリックな仕事や海外での展開も広がってきた。 日本の賞はもちろん、イギリスでは世界TOP9のプロダクトに選出され、イタリアでは金賞、ドイツでもアワードをいただいた。...
仲間
ここ最近KOMAもようやく組織らしきものになってきた様に思う。 亀井と一緒にスタートした18年前は単価の低い請け仕事ばかりで、いくらやっても利益にならず、ボロいワンボックスカーの中で梱包用の毛布にくるまって寝るなんて毎日。 「直営店を持って作品クオリティーの製品づくり」を目標にして修行に励み独立したはずなのに、求められるのはクオリティーよりも安さと速さだった。 取引先の質も最悪で倒産や夜逃げによって数百万の未払いを何度もくらい、その度に自分たちもグラグラとよろけて倒れそうになった。 理想には手が届かないどころか、もう何処にあるのかも見失いそうで悶々とする日々の中、自分ばかりがはずれクジを引かされて苦労をしているように錯覚し周りが見えなくなる。 「どんな時も大切なのは仲間なんだよ!仲間しかねえだろう!」 大先輩のその言葉は今でもずっと鼓膜に張り付いている。 「よく分かんないっすよ。俺は1人でも進めるし」 なんて生意気を返したように記憶している。 「オマエのそういうとこ嫌いじゃないぞ〜」 そう言ってサーフィンに誘ってくれた。 不思議なもので、その言葉への理解が深まるごとに一歩づつ前進するように思う。 良いものづくりがしたい。その意思は修行時代からずっと変わらない。 しかし、それを持続し高めるには製作スキル以外にそれを活かし支える環境が大切で、挙げればキリが無いほどの様々な要素がバランスよく集まって、持続的な良いものづくりの循環がうまれる。 今のKOMAには一人一人が自分の役割を理解し、向上心を持って仲間のために努力できる面々が集まっている。 そうやって苦手を補い得意を伸ばし合えるチームになってきたように感じる。 そんな彼らのおかげで、東京オリンピックや万博など日の丸を背負わせてもらえるシンボリックな仕事や海外での展開も広がってきた。 日本の賞はもちろん、イギリスでは世界TOP9のプロダクトに選出され、イタリアでは金賞、ドイツでもアワードをいただいた。...

デザインについて
新作のデザインをする時にいつも思い出すことがある。 ちょうど10年前、オリジナルの家具を作って自社製品展開に向けてチャレンジしていた頃、人に誘われてインテリア関係のパーティーに参加した。 新作家具の写真をスクラップした手作りの作品ファイルを参加者の方々に見てもらっていると 「おいオマエいくつだ?」 そう声をかけてきたのは、グレーのセットアップを着た小柄だが妙に迫力がある男性で、ハットの裾からは白くなった長髪がのぞいていた。 「33歳です」そう答えると 持参した作品ファイルをバラバラと見ながら 「まだ若いから教えてやるけどな、オマエがしていることはデザインではない。テーマを持たない出来損ないのアートだ。職人がデザインをすると、作り手の都合ばかりで使い手にとって中身がないことが多いね」 「少しでも作り手としての個性を出そうと思って。。」そう答えると間髪入れずに返ってくる。 「オマエのは個性ではなく安っぽいエゴだ。安易に奇をてらってデザイナーの本質から逃げてるだけだ」 「デザイナーの本質って何ですか?木製家具みたいな古典的なプロダクトデザインなんて、とっくの昔に誰かの手で全部表現されてます」 「全てのフレーズは出尽くしていても、それでも自分だけのオリジナリティを探して生み出そうともがくのがデザイナーだ!!作りたい物をただ作ってるだけのオマエはデザインという行為を全く理解していない」 「じゃあデザインっていったいなんですか!?」 「人を幸せにする以外に何があるんだよ!」 文字通り雷を落とされて、真っ暗な頭の中を白い稲妻がバシッと走った。 ...
デザインについて
新作のデザインをする時にいつも思い出すことがある。 ちょうど10年前、オリジナルの家具を作って自社製品展開に向けてチャレンジしていた頃、人に誘われてインテリア関係のパーティーに参加した。 新作家具の写真をスクラップした手作りの作品ファイルを参加者の方々に見てもらっていると 「おいオマエいくつだ?」 そう声をかけてきたのは、グレーのセットアップを着た小柄だが妙に迫力がある男性で、ハットの裾からは白くなった長髪がのぞいていた。 「33歳です」そう答えると 持参した作品ファイルをバラバラと見ながら 「まだ若いから教えてやるけどな、オマエがしていることはデザインではない。テーマを持たない出来損ないのアートだ。職人がデザインをすると、作り手の都合ばかりで使い手にとって中身がないことが多いね」 「少しでも作り手としての個性を出そうと思って。。」そう答えると間髪入れずに返ってくる。 「オマエのは個性ではなく安っぽいエゴだ。安易に奇をてらってデザイナーの本質から逃げてるだけだ」 「デザイナーの本質って何ですか?木製家具みたいな古典的なプロダクトデザインなんて、とっくの昔に誰かの手で全部表現されてます」 「全てのフレーズは出尽くしていても、それでも自分だけのオリジナリティを探して生み出そうともがくのがデザイナーだ!!作りたい物をただ作ってるだけのオマエはデザインという行為を全く理解していない」 「じゃあデザインっていったいなんですか!?」 「人を幸せにする以外に何があるんだよ!」 文字通り雷を落とされて、真っ暗な頭の中を白い稲妻がバシッと走った。 ...

妻の誕生日
妻の誕生日には毎年、椅子を作ってプレゼントしている。 仕事ともコンテストとも違って結果を気にせず、ただお気楽に作れる年に一度の機会になっている。 彼女は俺の妻であり4人の子の母親でありKOMA shopの店主でもある。 20歳から15年勤めた百貨店を早期退職して「しばらくゆっくりしようかな」なんて言っていた妻に「どうしても今このタイミングで直営店をやって欲しい」などと無理を聞いてもらってKOMA shop は2013年に小さく10坪でスタートした。 あれから7年、少しづつ成長しながら今年で100坪近くにまで広くなったのは他ならぬ彼女の力によるものだ。 家具職人の修行を始めてすぐに結婚をして、その年に生まれた長女が2歳になった頃、突然「独立することにした」と言う俺に彼女は少しも反対しなかった。 独立をして程なく長男が生まれたが、俺は給料が稼げず、飯も食えずアパートの家賃すら払えない。それでも彼女は一言も文句を言わなかった。 それから何年かして少しはマシな生活ができるようになった頃、なぜ小言の一つもこぼさなかった?と聞いてみた。 「頑張れる男だと信じているから」と一言。 俺の妻は、とにかく格好の良い女なのだ。
妻の誕生日
妻の誕生日には毎年、椅子を作ってプレゼントしている。 仕事ともコンテストとも違って結果を気にせず、ただお気楽に作れる年に一度の機会になっている。 彼女は俺の妻であり4人の子の母親でありKOMA shopの店主でもある。 20歳から15年勤めた百貨店を早期退職して「しばらくゆっくりしようかな」なんて言っていた妻に「どうしても今このタイミングで直営店をやって欲しい」などと無理を聞いてもらってKOMA shop は2013年に小さく10坪でスタートした。 あれから7年、少しづつ成長しながら今年で100坪近くにまで広くなったのは他ならぬ彼女の力によるものだ。 家具職人の修行を始めてすぐに結婚をして、その年に生まれた長女が2歳になった頃、突然「独立することにした」と言う俺に彼女は少しも反対しなかった。 独立をして程なく長男が生まれたが、俺は給料が稼げず、飯も食えずアパートの家賃すら払えない。それでも彼女は一言も文句を言わなかった。 それから何年かして少しはマシな生活ができるようになった頃、なぜ小言の一つもこぼさなかった?と聞いてみた。 「頑張れる男だと信じているから」と一言。 俺の妻は、とにかく格好の良い女なのだ。

舟弘さんの刀
国から勲章を授与されるほどの名工である舟弘さんが作ってくれた大小あわせて11本の刀が届いた。 そしてこの桐箱に収まっている8本は、たくさん練習して技術を磨いた若い衆にプレゼントしていくつもりだ。 「こんなに長くて薄い刀は作った事がない」と3年前から断られていたが、今年の3月に直接プレゼンテーションをする機会をいただいた。 舟弘さんにジッと見られながらの作業は柄にもなく緊張したが「こんなふうに刀を使うのは初めて見た。こりゃあ長いのが必要だな。。」と舟弘さん。「もっと切れる刀があればまだまだ上達できます」そう言うと「よし!最高の刀を作りましょう!」と快諾してくれた。 それから数ヶ月、何度も電話でやりとりをする中で、舟弘さんにとっての職人としての喜びや技術を突き詰める楽しさなど、沢山の言葉をいただいた。 今回、彼が作ってくれた刀はただの道具ではなく、ものづくりのお手本のような物だ。 最高の道具を使うというのは、切れ味やその性能だけでなく、使う者の背筋を正してくれるような、そんな効能があるように思う。 今回、舟弘さんが作ってくれた刀の鋼は青紙をベースに炭素量を調整したものを用い、地金には善光寺で採れた数百年前の和鉄が使われている。 仕上がりが美しいのは言うまでもない。 刃の回転性を高めるために細く薄い造になっているうえに、刃先の維持を考慮して裏スキを深くえぐっているから驚くほど軽く、下手に扱えばすぐに曲がってしまうほど繊細である。 新しい刃物は使い手が自ら仕込む。 まずは刃裏の歪みを金床で研いだり木槌で叩いたりしながら真っ直ぐに仕立てる。そして荒い砥石で刃表を整えたら中砥石で研ぎはじめる。 古い和鉄は柔軟で刃の形が整えやすく、刃裏にはすぐにピシッと刃返りがたつ。そしていくつかの工程を踏んで、仕上げの天然砥石で研ぎ上がるにつれ、自然と刃返りが消えていくのが心地良い。 鋼のポテンシャルを引き出す為の研ぎやすさ。 そんな日々の使い勝手を創り上げるのも舟弘さんの火作りの技だ。 この日のために用意していた黒柿、黒檀、神代桂などの銘木で鞘と柄をじっくり時間をかけて作る。 さあいよいよ木肌に刃を入れてみる。 嘘みたいに切れる。抵抗なく刃が勝手に進んでいく。 そして薄く繊細であるのに刃先はしっかり粘って小さな刃こぼれ一つ無い。 道具としての用の美と作り手の意匠が見事に表現されているまさに理想の刀だ。 この道具に恥じない仕事をしようと思えることが有り難い。 ...
舟弘さんの刀
国から勲章を授与されるほどの名工である舟弘さんが作ってくれた大小あわせて11本の刀が届いた。 そしてこの桐箱に収まっている8本は、たくさん練習して技術を磨いた若い衆にプレゼントしていくつもりだ。 「こんなに長くて薄い刀は作った事がない」と3年前から断られていたが、今年の3月に直接プレゼンテーションをする機会をいただいた。 舟弘さんにジッと見られながらの作業は柄にもなく緊張したが「こんなふうに刀を使うのは初めて見た。こりゃあ長いのが必要だな。。」と舟弘さん。「もっと切れる刀があればまだまだ上達できます」そう言うと「よし!最高の刀を作りましょう!」と快諾してくれた。 それから数ヶ月、何度も電話でやりとりをする中で、舟弘さんにとっての職人としての喜びや技術を突き詰める楽しさなど、沢山の言葉をいただいた。 今回、彼が作ってくれた刀はただの道具ではなく、ものづくりのお手本のような物だ。 最高の道具を使うというのは、切れ味やその性能だけでなく、使う者の背筋を正してくれるような、そんな効能があるように思う。 今回、舟弘さんが作ってくれた刀の鋼は青紙をベースに炭素量を調整したものを用い、地金には善光寺で採れた数百年前の和鉄が使われている。 仕上がりが美しいのは言うまでもない。 刃の回転性を高めるために細く薄い造になっているうえに、刃先の維持を考慮して裏スキを深くえぐっているから驚くほど軽く、下手に扱えばすぐに曲がってしまうほど繊細である。 新しい刃物は使い手が自ら仕込む。 まずは刃裏の歪みを金床で研いだり木槌で叩いたりしながら真っ直ぐに仕立てる。そして荒い砥石で刃表を整えたら中砥石で研ぎはじめる。 古い和鉄は柔軟で刃の形が整えやすく、刃裏にはすぐにピシッと刃返りがたつ。そしていくつかの工程を踏んで、仕上げの天然砥石で研ぎ上がるにつれ、自然と刃返りが消えていくのが心地良い。 鋼のポテンシャルを引き出す為の研ぎやすさ。 そんな日々の使い勝手を創り上げるのも舟弘さんの火作りの技だ。 この日のために用意していた黒柿、黒檀、神代桂などの銘木で鞘と柄をじっくり時間をかけて作る。 さあいよいよ木肌に刃を入れてみる。 嘘みたいに切れる。抵抗なく刃が勝手に進んでいく。 そして薄く繊細であるのに刃先はしっかり粘って小さな刃こぼれ一つ無い。 道具としての用の美と作り手の意匠が見事に表現されているまさに理想の刀だ。 この道具に恥じない仕事をしようと思えることが有り難い。 ...