DIARY

KOMAの目標
前回記事の〆に軽い気持ちで次回は「KOMAの目標」なんて書いてしまったが、KOMAの目標は?あらためて考えると適当な答えが見つからない。代表者としてはよろしくないが、考えに考えて6ヶ月見つからないのだからとりあえずは具体的な目標なんて必要ないという結論に至った。この15年。生き残るための課題や目標をクリアしていく事に懸けてきたように思うが、その結果なにを得て、これからなにを得たいのかがいまいちピンとこない。創業からの相棒である亀井に聞いてみた。「俺らも今年で40だけど、この15年どうだった?」椅子にのけぞりながら頭に手を組んでボケーと天井を眺めている俺の真向かいで眉間にシワを寄せながらキーボードをたたいているような状況でも、嫌な顔ひとつせずに手を止めて付き合ってくれるのが亀井だ。亀井の答えはこうだ。「俺には今のKOMAなんて想像できてなかったし、こんなふうに成れたら良いなぁって夢みたいに思ってた事が出来てるよ!だってそうだろ?!」亀井が笑いながらつづける。「好きな家具が創れて、イイ仕事を沢山貰えて、直営店があって、お客さんは北海道から沖縄、海外からも来てくれて、面接希望の資料がいくつも届いて、賞なんかもいただいて、雑誌にラジオにTVだよ?!最初の頃やってた仕事覚えてる?あそこからの今だよ?想像ついた?笑」言われてみれば確かにそうだ。個人的には、同業の家具職人の方が最近よくKOMAshopに来てくれるというのも凄く嬉しいことだ。もしよかったら隅々まで見てもらいたいし、もし少しでも彼らの家具づくりの刺激になれるなら本望だ。逆にガッカリされないようにもっと頑張ろうと思える。KOMAのスタートなんてヒドイもんだった。「好きな仕事して自由に生きるってカッコ良くね?!」程度のものだった。そんなんだからかすぐに地獄を見た。まず仕事が無いし、あっても安くて徹夜でやっても稼ぎにならない。お互い家族もいるのにメシも家賃もガソリン代すら払う金がなくて何も出来なくなって喧嘩して1年で解散したのだった。もっと思い出した。そもそも会社に勤める事すらまともには出来そうもないと高校生の時には理解していたから結果的に職人になったのだった。もともと選択肢なんてなかった。「確かに。俺らにしては上出来だな。」「そうだよ!本当にありがたいことだな!」と満足げに言う相棒を見ていると、お陰さんでドロドロと溜まっていた澱が下がるのを感じる。やたら感謝感謝というのも胡散臭いが、自分の中の「感謝」という言葉になにか気持ち悪い違和感のようなものが無くなる度に少しは人としてマシになれたような気がする。「目標が見つからない」なんて偉そうに言っているが実はそんなモノは最初から無くて、どうにかギリギリ出来る事をやっていたら知らない間にチャンスもタイミングも誰かが運んできてくれた事ばかりだとあらためて思う。これからも俺たちは、もっともっと良い家具が創れるように技を磨くだけでいい。少し背伸びしたチャレンジをして、当たり前の事がもっと当たり前にできるようになっていけばいいのだ。だから具体的に目標など持つ必要はない。こうなれたら楽しいとか、嬉しいとか、カッコイイとか、それがそのまま目標でいいのだ。「で?楽しみまくったその先は?」と亀井がニヤニヤしている。「野球少年だったらメジャーリーグの殿堂入りだろ?ギター小僧はグラミー賞か?」「お〜!じゃあ俺らみたいな工作小僧は?」と亀井。「家具の世界史にその名を刻むトップブランドの職人集団だろ!やっぱ成り上がった分だけ楽しめそうだろ?」「20年後かな?その時の乾杯はヤバい楽しそうだな〜笑」とやはり亀井は満足げである。昔ばなしと未来のバカ話で楽しい今夜があるのだからそれでイイのだ。とにかく俺たちは四の五の言わずに家具をつくりまくるだけでいい。こんなシンプルなことに半年もかかっちゃったけど、とりあえずはスッキリ解決だ。前回の記事で「次は海外展開スタートだ!」なんて勝手に言っていたら、本当に上海の会社さんから嬉しいオファー。え?マジで?とにかく本当にありがたいっす。楽しそうだからがんばります!話は変わるが、こうして書いているこの記事の目的は親方の目線を通してKOMAの素性を少しでも知ってもらえたら嬉しいということだが、こんなに進まないんじゃそもそもやる意味が無い。今後はその週の印象深かった事をなんとなく書いていこうと思う。 At the end of the last article, I happed to set "Goals of KOMA" as theme of the next blog, I have found it difficult to find them. It...
KOMAの目標
前回記事の〆に軽い気持ちで次回は「KOMAの目標」なんて書いてしまったが、KOMAの目標は?あらためて考えると適当な答えが見つからない。代表者としてはよろしくないが、考えに考えて6ヶ月見つからないのだからとりあえずは具体的な目標なんて必要ないという結論に至った。この15年。生き残るための課題や目標をクリアしていく事に懸けてきたように思うが、その結果なにを得て、これからなにを得たいのかがいまいちピンとこない。創業からの相棒である亀井に聞いてみた。「俺らも今年で40だけど、この15年どうだった?」椅子にのけぞりながら頭に手を組んでボケーと天井を眺めている俺の真向かいで眉間にシワを寄せながらキーボードをたたいているような状況でも、嫌な顔ひとつせずに手を止めて付き合ってくれるのが亀井だ。亀井の答えはこうだ。「俺には今のKOMAなんて想像できてなかったし、こんなふうに成れたら良いなぁって夢みたいに思ってた事が出来てるよ!だってそうだろ?!」亀井が笑いながらつづける。「好きな家具が創れて、イイ仕事を沢山貰えて、直営店があって、お客さんは北海道から沖縄、海外からも来てくれて、面接希望の資料がいくつも届いて、賞なんかもいただいて、雑誌にラジオにTVだよ?!最初の頃やってた仕事覚えてる?あそこからの今だよ?想像ついた?笑」言われてみれば確かにそうだ。個人的には、同業の家具職人の方が最近よくKOMAshopに来てくれるというのも凄く嬉しいことだ。もしよかったら隅々まで見てもらいたいし、もし少しでも彼らの家具づくりの刺激になれるなら本望だ。逆にガッカリされないようにもっと頑張ろうと思える。KOMAのスタートなんてヒドイもんだった。「好きな仕事して自由に生きるってカッコ良くね?!」程度のものだった。そんなんだからかすぐに地獄を見た。まず仕事が無いし、あっても安くて徹夜でやっても稼ぎにならない。お互い家族もいるのにメシも家賃もガソリン代すら払う金がなくて何も出来なくなって喧嘩して1年で解散したのだった。もっと思い出した。そもそも会社に勤める事すらまともには出来そうもないと高校生の時には理解していたから結果的に職人になったのだった。もともと選択肢なんてなかった。「確かに。俺らにしては上出来だな。」「そうだよ!本当にありがたいことだな!」と満足げに言う相棒を見ていると、お陰さんでドロドロと溜まっていた澱が下がるのを感じる。やたら感謝感謝というのも胡散臭いが、自分の中の「感謝」という言葉になにか気持ち悪い違和感のようなものが無くなる度に少しは人としてマシになれたような気がする。「目標が見つからない」なんて偉そうに言っているが実はそんなモノは最初から無くて、どうにかギリギリ出来る事をやっていたら知らない間にチャンスもタイミングも誰かが運んできてくれた事ばかりだとあらためて思う。これからも俺たちは、もっともっと良い家具が創れるように技を磨くだけでいい。少し背伸びしたチャレンジをして、当たり前の事がもっと当たり前にできるようになっていけばいいのだ。だから具体的に目標など持つ必要はない。こうなれたら楽しいとか、嬉しいとか、カッコイイとか、それがそのまま目標でいいのだ。「で?楽しみまくったその先は?」と亀井がニヤニヤしている。「野球少年だったらメジャーリーグの殿堂入りだろ?ギター小僧はグラミー賞か?」「お〜!じゃあ俺らみたいな工作小僧は?」と亀井。「家具の世界史にその名を刻むトップブランドの職人集団だろ!やっぱ成り上がった分だけ楽しめそうだろ?」「20年後かな?その時の乾杯はヤバい楽しそうだな〜笑」とやはり亀井は満足げである。昔ばなしと未来のバカ話で楽しい今夜があるのだからそれでイイのだ。とにかく俺たちは四の五の言わずに家具をつくりまくるだけでいい。こんなシンプルなことに半年もかかっちゃったけど、とりあえずはスッキリ解決だ。前回の記事で「次は海外展開スタートだ!」なんて勝手に言っていたら、本当に上海の会社さんから嬉しいオファー。え?マジで?とにかく本当にありがたいっす。楽しそうだからがんばります!話は変わるが、こうして書いているこの記事の目的は親方の目線を通してKOMAの素性を少しでも知ってもらえたら嬉しいということだが、こんなに進まないんじゃそもそもやる意味が無い。今後はその週の印象深かった事をなんとなく書いていこうと思う。 At the end of the last article, I happed to set "Goals of KOMA" as theme of the next blog, I have found it difficult to find them. It...

再スタート
前回記事から1年空いて再スタートです。昨年の9月に松岡家に赤ちゃんが産まれた。4人目だから「シロウ」でも良かったが次男坊だから「ジロウ」です。長女との歳の差は16歳。39歳にして初孫な気分で、理屈抜きでとにかく可愛い。「ようこそ!一緒に楽しもう!」なんて言いたいが、「残念だったね。一緒に修行しよう」っていうのが仏教的には正しい声の掛け方らしい。昨年になるが、臨済宗だか浄土真宗だかのお坊さんと30分程度の席を共にする時間があった。「また生まれ変わってきて会えたりするんですかね?」なんて訪ねたら「可能性はありますが、亡くなった本人の為にそうならないよう願いましょう」そう言って「輪廻」の話をしてくれた。人が亡くなると「成仏」か「輪廻」の2つの道があるらしい。成仏は「意識」で輪廻は「魂」の概念だそうだ。大前提に「みんな成仏したい」のだが、「オマエはまだダメもう一回修行してこい」と言われ泣く泣く生まれ変わってくるのが輪廻だそうだ。そして、輪廻には必要な修行に応じて6つの領域があるらしい。苦しい順に読んで字のごとくの地獄界。飢え苦しむ餓鬼界。動物の領域である畜生界。闘いの絶えない修羅界。我々の人間界。天上界。成仏出来るまで永遠にどこかの領域に輪廻して修行は続くのだそう。成仏を目指してこの世で修行をしているのだから苦しくて当たり前ということらしい。だから生まれてきた赤ちゃんには「残念だったね。輪廻してきちゃったんだ。一緒に修行に励もう。。。」ってのがお坊さん的に正しい声の掛け方なのだ。だから赤ん坊は泣いて生まれてくる。なんてオチまでつけてくれた。何かをする為ではなくて、ただ修行の為に生まれてきただけ。そりゃ何をやっても上手くいかなくて当たり前だ。さすがは坊主の説教で何だかすごく楽になった。輪廻の6つの領域はいつも人間界のどこかにあるし、自分の中にも6種の心があるように思う。自身のありようで、いつどの領域にでも落ちてしまうわけだが、どこに落ちようが「ま、どうせ修行だし」と思えれば楽なもんだ。ごちゃごちゃ悩んで焦ることの多い昨年だったが、ようやく「まぁこんなもんか」と思えるようになってきた。我が子の誕生はありがたい事に、いつも修行の機会を与えてくれる。2000年、職人修行開始で長女。2003年、KOMA創業で長男。2009年、自社製品展開の準備で次女。その修行のどれもが楽しかったから、やっぱり我が子には「ようこそ!一緒に楽しもう!」と声を掛けようと思う。そして、ジロウが生まれての新たな修行は、本格的な海外展開を目指してスタートです。 Matsuoka family had baby born on September last year. Given 4th children, I may be able to name him as "Sirou", however, as second son, I have named him...
再スタート
前回記事から1年空いて再スタートです。昨年の9月に松岡家に赤ちゃんが産まれた。4人目だから「シロウ」でも良かったが次男坊だから「ジロウ」です。長女との歳の差は16歳。39歳にして初孫な気分で、理屈抜きでとにかく可愛い。「ようこそ!一緒に楽しもう!」なんて言いたいが、「残念だったね。一緒に修行しよう」っていうのが仏教的には正しい声の掛け方らしい。昨年になるが、臨済宗だか浄土真宗だかのお坊さんと30分程度の席を共にする時間があった。「また生まれ変わってきて会えたりするんですかね?」なんて訪ねたら「可能性はありますが、亡くなった本人の為にそうならないよう願いましょう」そう言って「輪廻」の話をしてくれた。人が亡くなると「成仏」か「輪廻」の2つの道があるらしい。成仏は「意識」で輪廻は「魂」の概念だそうだ。大前提に「みんな成仏したい」のだが、「オマエはまだダメもう一回修行してこい」と言われ泣く泣く生まれ変わってくるのが輪廻だそうだ。そして、輪廻には必要な修行に応じて6つの領域があるらしい。苦しい順に読んで字のごとくの地獄界。飢え苦しむ餓鬼界。動物の領域である畜生界。闘いの絶えない修羅界。我々の人間界。天上界。成仏出来るまで永遠にどこかの領域に輪廻して修行は続くのだそう。成仏を目指してこの世で修行をしているのだから苦しくて当たり前ということらしい。だから生まれてきた赤ちゃんには「残念だったね。輪廻してきちゃったんだ。一緒に修行に励もう。。。」ってのがお坊さん的に正しい声の掛け方なのだ。だから赤ん坊は泣いて生まれてくる。なんてオチまでつけてくれた。何かをする為ではなくて、ただ修行の為に生まれてきただけ。そりゃ何をやっても上手くいかなくて当たり前だ。さすがは坊主の説教で何だかすごく楽になった。輪廻の6つの領域はいつも人間界のどこかにあるし、自分の中にも6種の心があるように思う。自身のありようで、いつどの領域にでも落ちてしまうわけだが、どこに落ちようが「ま、どうせ修行だし」と思えれば楽なもんだ。ごちゃごちゃ悩んで焦ることの多い昨年だったが、ようやく「まぁこんなもんか」と思えるようになってきた。我が子の誕生はありがたい事に、いつも修行の機会を与えてくれる。2000年、職人修行開始で長女。2003年、KOMA創業で長男。2009年、自社製品展開の準備で次女。その修行のどれもが楽しかったから、やっぱり我が子には「ようこそ!一緒に楽しもう!」と声を掛けようと思う。そして、ジロウが生まれての新たな修行は、本格的な海外展開を目指してスタートです。 Matsuoka family had baby born on September last year. Given 4th children, I may be able to name him as "Sirou", however, as second son, I have named him...

製造業の苦楽
【製造業の苦楽】ヤリ続けてきた事で賞状をいただくっていうのは素直に嬉しい。何だか子供の頃より大人になってからの方が余計に嬉しく感じるのは、続ける事の難しさと同時にありがたさを知れたからだろう。だから職人として良い時代に生まれたなぁと思う。大親方(89)は戦後から高度成長期を経て、あれが製造業にとって最高の時代だったと言う。モノが無いから作れば売れたらしい。どの時代に生まれても一生懸命に過ごした人にとっては自分が生きた時代がサイコーなんだろう。2000年に社会人になって基本的にいつも不景気と言われているが、それしか知らないから実感がない。俺にとっては今の時代が最高だ。作れば売れる時代なんて面白くない。「モノが無いから売れる」なんて売れる理由としてつまらねえ。「何でもイイんだ。とりあえずそれちょうだい」なんて言われたらちょっと悲しい。どうせなら、「気に入った!」と多くの選択肢の中から見つけて買ってもらえたらスゴく嬉しい。今はモノが溢れ、製造業にとってはモノが売れないと言われるが、ユーザーにとっては海外ブランドから国内の地方産業まで無限の選択肢を得て、こだわりや趣味の幅も大きく広がり、よりワガママにじっくりモノが選べる時代だ。目の肥えた消費者に向けて新しいモノやサービスが次々に出ては消え、目紛しく淘汰されていくが、マーケットそのものは無限に広がっていくようで面白い。その中から選んで買ってもらった一つ一つが本当にありがたいし嬉しい。今は、そんな嬉しいことがたくさん感じられる時代とも言えるのだ。俺みたいな根っからの高慢ちきでも素直にありがたいと思える時代なのだ。角度や尺度は様々あるが、何れにせよ「良いモノを作り続ける」っていうのはいつの時代も難しい。ちょっと前からサステナブルなんてよく聞くが、持続可能ってのは「無理なく」っていうのが大きなキーワードになるのだろう。無理なく健全に歪みなく会社を運営して生き残っていけるなら誰も苦労しない。だから何事も「続ける」っていうのは難しい。小さな製造業が大きなマーケットの中で自立するのは無理の連続だ。時間も金も労力も何にも余裕が無いなかで、何度も失敗しながら自社製品の開発をする。その次は最低限の準備として売れる保証のない在庫ストック分を材料費をはたいて作る。限られた予算を切り詰めながら発信、営業、販促。一銭にもなっていないのに経費ばかりが先行する。超無理で不健全だ。それでも挑戦したいと思えるのは、サイコーに可能性に溢れた楽しい時代だからだ。何事も無理の連続を経て、少しづつマシになっていくものだと思う。マジの職人にしか創れない「本物」を創る家具メーカーとして成長していきたい。だから、一つの家具メーカーとして評価してもらえた今回の受賞は嬉しかった。飛騨産業、天童木工、カンディーハウス、カリモク、アルフレックス、宮崎椅子製作所など名だたる大手メーカーの中に俺たちみたいな小さな家具工房が混ざれた事が嬉しい。それもこれもこの時代のお陰様々だ。 It is purely happy to be awarded for what have been committed to continue. Being awarded when matured would feet more happy compared to the period when I was...
製造業の苦楽
【製造業の苦楽】ヤリ続けてきた事で賞状をいただくっていうのは素直に嬉しい。何だか子供の頃より大人になってからの方が余計に嬉しく感じるのは、続ける事の難しさと同時にありがたさを知れたからだろう。だから職人として良い時代に生まれたなぁと思う。大親方(89)は戦後から高度成長期を経て、あれが製造業にとって最高の時代だったと言う。モノが無いから作れば売れたらしい。どの時代に生まれても一生懸命に過ごした人にとっては自分が生きた時代がサイコーなんだろう。2000年に社会人になって基本的にいつも不景気と言われているが、それしか知らないから実感がない。俺にとっては今の時代が最高だ。作れば売れる時代なんて面白くない。「モノが無いから売れる」なんて売れる理由としてつまらねえ。「何でもイイんだ。とりあえずそれちょうだい」なんて言われたらちょっと悲しい。どうせなら、「気に入った!」と多くの選択肢の中から見つけて買ってもらえたらスゴく嬉しい。今はモノが溢れ、製造業にとってはモノが売れないと言われるが、ユーザーにとっては海外ブランドから国内の地方産業まで無限の選択肢を得て、こだわりや趣味の幅も大きく広がり、よりワガママにじっくりモノが選べる時代だ。目の肥えた消費者に向けて新しいモノやサービスが次々に出ては消え、目紛しく淘汰されていくが、マーケットそのものは無限に広がっていくようで面白い。その中から選んで買ってもらった一つ一つが本当にありがたいし嬉しい。今は、そんな嬉しいことがたくさん感じられる時代とも言えるのだ。俺みたいな根っからの高慢ちきでも素直にありがたいと思える時代なのだ。角度や尺度は様々あるが、何れにせよ「良いモノを作り続ける」っていうのはいつの時代も難しい。ちょっと前からサステナブルなんてよく聞くが、持続可能ってのは「無理なく」っていうのが大きなキーワードになるのだろう。無理なく健全に歪みなく会社を運営して生き残っていけるなら誰も苦労しない。だから何事も「続ける」っていうのは難しい。小さな製造業が大きなマーケットの中で自立するのは無理の連続だ。時間も金も労力も何にも余裕が無いなかで、何度も失敗しながら自社製品の開発をする。その次は最低限の準備として売れる保証のない在庫ストック分を材料費をはたいて作る。限られた予算を切り詰めながら発信、営業、販促。一銭にもなっていないのに経費ばかりが先行する。超無理で不健全だ。それでも挑戦したいと思えるのは、サイコーに可能性に溢れた楽しい時代だからだ。何事も無理の連続を経て、少しづつマシになっていくものだと思う。マジの職人にしか創れない「本物」を創る家具メーカーとして成長していきたい。だから、一つの家具メーカーとして評価してもらえた今回の受賞は嬉しかった。飛騨産業、天童木工、カンディーハウス、カリモク、アルフレックス、宮崎椅子製作所など名だたる大手メーカーの中に俺たちみたいな小さな家具工房が混ざれた事が嬉しい。それもこれもこの時代のお陰様々だ。 It is purely happy to be awarded for what have been committed to continue. Being awarded when matured would feet more happy compared to the period when I was...

バトンを繋ぐ
【バトンを繋ぐ】ガキの頃から一番の遊びはものづくりだった。遊びがそのまま仕事になるってのは幸せな事だが、キライにならずに続けていくってことは案外難しいように思う。飯を食う為のオシゴトになってしまうからだ。ただメシ食って寝るだけじゃダメなんだろうか?生きる意味や意義って、目標や目的って必要だろうか?ダメじゃないし必要ないと思う。ただ、楽かどうかだ。苦しいだけならやめればいい。苦を楽にするために目標や目的が必要なのだと思う。ごく一部の本物の天才を除いた俗に言う才能ある人っていうのは、苦しみの先を上手に見出すクリエイションが出来てる人だ。今、得ている全て。衣食住、生活に必要な物質も、生命としての肉体も、人としての精神も、全て誰かに繋いでもらったものだ。自分一人で手に入れたものなど何一つ無い。与えられた環境の中で、繋いでもらった肉体と精神を持って生かされている。大きな流れの中であらがう事も出来ずにただ生きていく事に変わりはないが、命以外の物質や精神を繋ぎたいと願うのは人間が持つ邪(よこしま)な考えなのだろうか?自分の生きた証を残したいと、爪痕を刻みたいと努力する事は、人間特有の下らないエゴなのだろうか?生きて命を繋ぐというのは動物の本能だ。より良い環境を求めて活動するのもまた動物の本能だろう。本能には邪な作為もエゴも無い。そうやって得た環境を仲間と共に喜び、共有して次の世代に繋ぎたいと純粋に思う。社会に対して自分たちが出来る事はしていきたいと思う。【最高な家具を創って、最高に喜んでもらって、最高にカッコ良くある。】家具づくりを通じて、仲間達、お客様、未来の後輩、そして俺たち自身も、みんながワクワク出来る様な挑戦をし続け、心に響く音楽みたいな家具を創るサイコーにイカしたロックバンドみたいなカンパニーであること。これがKOMAの企業理念だ。ガキの頃から作ることが好きだった。ゲームなどは一切ヤラずに粘土、折り紙、LEGO、彫刻、プラモ、ラジコンなどなど、ありとあらゆる工作をやったように思う。そこには自由なクリエイションと喜びがあった。それがそのまま大人になった。だから、ものづくりを通じて一生ワクワクしていたい。自由なクリエイションがない下請けじゃなくて。クラフトとして、ニッチなマーケットで細々と貧乏しながらじゃなくて。好きなものづくりでどうにかメシが食えてるなんて自己満足じゃなくて。社会的な結果を見せたい。小さな製造業でも大手メーカーのプロダクトとメジャーなマーケットで渡り合いたい。工業製品ではなく、本物のクラフトマンシップのあるプロダクトというジャンルを一般市場の中でもっとキチンと確立したい。そして、より多くの人に触れて喜んでもらえたら嬉しい。運命に身を委ねながらも常に自ら選択する挑戦者であり続けたいし、開拓者として先頭を走りたい。思ったように行かない事ばかりで毎日もうやめたいと思うけど、その苦楽の中にこそ本能的に喜べる何かがある。今、自分たちに出来る精一杯の積み重ねが創れる何かがある。そうやって先輩達が繋いでくれたバトンを今度は俺たちなりのカタチにして次の世代に繋いでいけたら嬉しい。 Since I was child, my favorite hobby have been making something. I should be happy to make my favorite thing as my profession, however, it would not be easy...
バトンを繋ぐ
【バトンを繋ぐ】ガキの頃から一番の遊びはものづくりだった。遊びがそのまま仕事になるってのは幸せな事だが、キライにならずに続けていくってことは案外難しいように思う。飯を食う為のオシゴトになってしまうからだ。ただメシ食って寝るだけじゃダメなんだろうか?生きる意味や意義って、目標や目的って必要だろうか?ダメじゃないし必要ないと思う。ただ、楽かどうかだ。苦しいだけならやめればいい。苦を楽にするために目標や目的が必要なのだと思う。ごく一部の本物の天才を除いた俗に言う才能ある人っていうのは、苦しみの先を上手に見出すクリエイションが出来てる人だ。今、得ている全て。衣食住、生活に必要な物質も、生命としての肉体も、人としての精神も、全て誰かに繋いでもらったものだ。自分一人で手に入れたものなど何一つ無い。与えられた環境の中で、繋いでもらった肉体と精神を持って生かされている。大きな流れの中であらがう事も出来ずにただ生きていく事に変わりはないが、命以外の物質や精神を繋ぎたいと願うのは人間が持つ邪(よこしま)な考えなのだろうか?自分の生きた証を残したいと、爪痕を刻みたいと努力する事は、人間特有の下らないエゴなのだろうか?生きて命を繋ぐというのは動物の本能だ。より良い環境を求めて活動するのもまた動物の本能だろう。本能には邪な作為もエゴも無い。そうやって得た環境を仲間と共に喜び、共有して次の世代に繋ぎたいと純粋に思う。社会に対して自分たちが出来る事はしていきたいと思う。【最高な家具を創って、最高に喜んでもらって、最高にカッコ良くある。】家具づくりを通じて、仲間達、お客様、未来の後輩、そして俺たち自身も、みんながワクワク出来る様な挑戦をし続け、心に響く音楽みたいな家具を創るサイコーにイカしたロックバンドみたいなカンパニーであること。これがKOMAの企業理念だ。ガキの頃から作ることが好きだった。ゲームなどは一切ヤラずに粘土、折り紙、LEGO、彫刻、プラモ、ラジコンなどなど、ありとあらゆる工作をやったように思う。そこには自由なクリエイションと喜びがあった。それがそのまま大人になった。だから、ものづくりを通じて一生ワクワクしていたい。自由なクリエイションがない下請けじゃなくて。クラフトとして、ニッチなマーケットで細々と貧乏しながらじゃなくて。好きなものづくりでどうにかメシが食えてるなんて自己満足じゃなくて。社会的な結果を見せたい。小さな製造業でも大手メーカーのプロダクトとメジャーなマーケットで渡り合いたい。工業製品ではなく、本物のクラフトマンシップのあるプロダクトというジャンルを一般市場の中でもっとキチンと確立したい。そして、より多くの人に触れて喜んでもらえたら嬉しい。運命に身を委ねながらも常に自ら選択する挑戦者であり続けたいし、開拓者として先頭を走りたい。思ったように行かない事ばかりで毎日もうやめたいと思うけど、その苦楽の中にこそ本能的に喜べる何かがある。今、自分たちに出来る精一杯の積み重ねが創れる何かがある。そうやって先輩達が繋いでくれたバトンを今度は俺たちなりのカタチにして次の世代に繋いでいけたら嬉しい。 Since I was child, my favorite hobby have been making something. I should be happy to make my favorite thing as my profession, however, it would not be easy...

感謝する人たち4
【感謝する人たち4】御歳73歳の緑川 敬二郎さん。誰よりも最高にカッコいいと思う人だ。「ただの明日じゃない。人に会う約束がある明日だから今日も生きてるんだ。」なんて言う人なつっこくて底抜けに明るい人だ。家具業界で50年以上生きてきた人に対して俺ごとき小僧が大変失礼な物言いだが、彼にはこれと言って特筆する目に見える特技も華々しい実績も分かりやすい立場も無い。職人でもなくクリエイターでもない。あえて言うなら営業かな?「家具業界に生きてる人」なのだ。現在KOMAは、ありがたい事に各方面で活躍されている大先輩方に叱咤激励とともに可愛がってもらっている。彼らはそれぞれに才能豊かでいつも多くの刺激を頂くと同時に様々な機会を与えてくれる。尊敬もしている。でも、その誰よりも俺にとって最高にイカしてるのが緑川さんだ。日田工芸の勢い余った若い衆という感じで、俺の事は修業時代から知っていると言っていたのを覚えているが、正直に言うと緑川さんとの出会いの瞬間や切っ掛けは覚えていない。気が付けばいつの間にか何となく側にいてくれた。そして今は本当に感謝している人だ。分かりやすい特技や華々しい実績もない。だから俺みたいな阿呆は中々そのありがたさに気が付かなかった。2007年。俺が29歳の頃。2003年に開業したKOMAは多くの人に助けてもらいながら建設業者やリフォーム業者、店舗内装業者の下請けをしながらどうにかこうにか生き残っていた。その頃は店舗什器や新築の壁面収納家具工事など造作家具も多く造っていた。まあ、今だから言うとまあまあ儲かっていた。下請けというのは元請けに対するほんの少しの営業以外は製作だけに集中できるので、ある程度の固定客が開拓できていれば余計な経費は掛からない。エンドユーザーに対するアプローチは宣伝広告費、ショールームの維持費、広報、販売、企画、営業などの様々な人件費を抱えながら元請けがやってくれている。それなりに技術もあったし規模も3人。自分たちの食い扶持くらいの仕事量は人の協力もあってすぐに確保できた。自分たちにしか出来ない仕事からやっていって、残った簡単な仕事は職人仲間に発注する。要するにカタチの上では仲間に孫請けさんになってもらう。職人同士だから阿吽の呼吸で、製作に関わる打ち合わせなどが必要ない。だから、製作図面をFAXしておしまいだ。右から左で10%〜30%の利益。こんなウマい話はない。そうだ。本当にウマい話なんて無いのだ。当然しっぺ返しを喰らう。またドン底に落ちる。今思えば、この頃は墜落寸前から人並みにメシが食える様になれた事がただ嬉しかったのだ。でも、なんだか地に脚がついていなかった様に思う。KOMAのような小さな製造業にとって世間の景気動向などはほとんど関係ない。リーマンショックや構造計算書偽造問題などで業界の仕事は減っていたようだが事件当時は全く関係なかった。取引先の建築業者などが体力の尽きた順に次々と倒産し始めた2008年あたりからなんとなく意識するようになった。ある日突然、取引先と連絡がつかなくなる。気付いた時にはもう遅い。そして後日、弁護士からの倒産の通知が送られてくる。当然、金は支払われない。不良債権だ。100万の取引先もあれば300万なんていう取引先もいた。合計で2000万円近くヤラれた。もらえないけど、こっちは支払いがある。ヤッちまった。。。入金がゼロで支払いは600万なんていう月もあった。月末の支払いを考えると柄にもなく眠れなかった。夜中に一人、缶コーヒー片手に川沿いのベンチで貧乏揺すりをしながら過ごした。つい先週までニコニコ話をしていた取引先の社長や担当者たちの顔が浮かんだ。「畜生クソッタレ」を何千回も唱えた。それにしても9月の雑草に覆われた川沿いで夜中、一度も蚊に刺されなかった。蚊にとっても血が毒に感じる程、ものスゴい負のオーラを発していたんだろうと思う。とにかく払う。出来なきゃおしまい。一ヶ月でどうにかするしかねえ。これだけ決めて朝を迎えた。助けてくれたのはやっぱり仲間たちだった。ATOMリビンテックの上田さんをはじめ、事情を聞いてくれた仲間たちが在庫の家具を現金で買ってくれた。支払いに追われる月は続いたが、どうにか首の皮が繋がった。本当にありがたい。やっぱりどこにも足を向けて眠れないから立って寝るしかない。当然、貯金はゼロになって振り出しに戻ったが大きな経験ができた。仲間のありがたさを知った。オイシイ話は続かないってことも。笑思えば、そんな仲間たちとの最初の出会いの切っ掛けをつくってくれたのが緑川さんだった。ただ、事態は終わらない。元請けが倒産したと同時に多くの下請けたちも潰れた。しかし、孫請けとして発信や集客、営業などに余計な経費を掛けず、地道にコツコツ製作に集中してきた人達の多くが生き残った。それが意味するものは相場価格の値崩れだ。孫請けさんたちの価格が表に出てくる。依然として少ない仕事量に対する価格競争が始まる。とてもじゃないけど太刀打ちできない。2009年独自路線を目指すしかない。俺らだけの強みを活かそう。無垢の家具で勝負しよう。俺らにしか出来ない仕事をしよう。KOMAオリジナル家具をエンドユーザーに直接アプローチしよう。その為には会社として足りない機能が多くある。会社規模も3人じゃ足りない。すぐに切り替えられる訳ではないが、今のままじゃ潰れる。時間がない。家具は造れるけど売り方が解らない。見て知ってもらえる機会と場所がない。そして経費や時間、労力にも限りがある。最低限の商品や在庫は用意できて少しずつは進んでいたが、コレといった機会のないまま1年半が過ぎた。焦っていた。そんな時2011年4月。当時疎遠になっていた伊勢丹との関係を繋いでくれたのも緑川さんだった。新宿伊勢丹リビングフロアのメインステージ45平米のスペースで「KOMA家具展」を2週間。最高の環境だった。震災3,11の直後ということもあり売上目標の300万も売れるだろうか?と心配だった。結果は450万。俺たちだってヤレるじゃん!!ただただ嬉しかった。その後、各業界の大先輩方から多くの刺激と共に多様な機会を与えてもらえるようになった。それらのプロジェクトでの実績がまた次の仕事を呼んでくれた。そんな尊敬する彼らとの最初の切っ掛けを生んでくれたのもやはり緑川さんだった。人や機会を紹介する場合。あたりまえだが普通は「紹介してあげる」という立ち位置だろう。緑川さんは違う。「松岡〜めんどくせえかもしれねえけど、俺を助けると思って来てくれよ〜オマエしかいないんだよ〜」だ。いつもこう言って人や機会を繋いでくれていた。そしてウマくいったら「さすが松岡〜!頼んでよかった〜!」だ。恩を着せるなんて一切ない。「俺なんかさ、な〜んにも無えけどさ、こんな俺でもさ、俺にしか出来ない事があるんだよ。」そう言う緑川さんは自分の「分」の中で清々しく生きている人の代表格だ。際立った特技や才能など関係ない。彼の心に比べればどれも陳腐なもんだ。そんな緑川さんが言うのだ。「あと10年現役でいたいんだ。だってまだまだ自分自身に納得いってねえんだよ」カッコ良すぎるぜ!イカしてる!そんな緑川さんはちょくちょくKOMAの工房に顔を出してくれる。たまに飲みに行ったりもする。色々なアドバイスをくれるが、俺は聞かない。「うるせえな〜俺にクチ出しすんじゃねえよ〜笑」なんて生意気を言うと「ハハハ〜それが正解!お前の好きにヤルのが業界の未来だ!」な〜んて言ってくれる。でも彼が言ってくれた事は全部覚えている。亀井とギクシャクしてる時。「お前は幸せだな〜文句が言いあえる仲間がいるんだもんな〜」若い衆に腹を立てている時。「同じ事を何度も言えばイイじゃないの〜それがお前の勉強になるんだからさ〜」そして「今日も松岡に会えて良かった。良い話が聞けた。勉強になった〜」なんて彼の倅よりも年下の俺に言って帰っていくのだ。彼が繋いでくれているバトンを俺が次に繋ぐ為に、俺はもっと良い家具をつくろうと思う。 Mr. Keiji Midorikawa is in his 73 years old. I recognize him as the most cool person. He is extremely friendly and bright saying, "It is not mere...
感謝する人たち4
【感謝する人たち4】御歳73歳の緑川 敬二郎さん。誰よりも最高にカッコいいと思う人だ。「ただの明日じゃない。人に会う約束がある明日だから今日も生きてるんだ。」なんて言う人なつっこくて底抜けに明るい人だ。家具業界で50年以上生きてきた人に対して俺ごとき小僧が大変失礼な物言いだが、彼にはこれと言って特筆する目に見える特技も華々しい実績も分かりやすい立場も無い。職人でもなくクリエイターでもない。あえて言うなら営業かな?「家具業界に生きてる人」なのだ。現在KOMAは、ありがたい事に各方面で活躍されている大先輩方に叱咤激励とともに可愛がってもらっている。彼らはそれぞれに才能豊かでいつも多くの刺激を頂くと同時に様々な機会を与えてくれる。尊敬もしている。でも、その誰よりも俺にとって最高にイカしてるのが緑川さんだ。日田工芸の勢い余った若い衆という感じで、俺の事は修業時代から知っていると言っていたのを覚えているが、正直に言うと緑川さんとの出会いの瞬間や切っ掛けは覚えていない。気が付けばいつの間にか何となく側にいてくれた。そして今は本当に感謝している人だ。分かりやすい特技や華々しい実績もない。だから俺みたいな阿呆は中々そのありがたさに気が付かなかった。2007年。俺が29歳の頃。2003年に開業したKOMAは多くの人に助けてもらいながら建設業者やリフォーム業者、店舗内装業者の下請けをしながらどうにかこうにか生き残っていた。その頃は店舗什器や新築の壁面収納家具工事など造作家具も多く造っていた。まあ、今だから言うとまあまあ儲かっていた。下請けというのは元請けに対するほんの少しの営業以外は製作だけに集中できるので、ある程度の固定客が開拓できていれば余計な経費は掛からない。エンドユーザーに対するアプローチは宣伝広告費、ショールームの維持費、広報、販売、企画、営業などの様々な人件費を抱えながら元請けがやってくれている。それなりに技術もあったし規模も3人。自分たちの食い扶持くらいの仕事量は人の協力もあってすぐに確保できた。自分たちにしか出来ない仕事からやっていって、残った簡単な仕事は職人仲間に発注する。要するにカタチの上では仲間に孫請けさんになってもらう。職人同士だから阿吽の呼吸で、製作に関わる打ち合わせなどが必要ない。だから、製作図面をFAXしておしまいだ。右から左で10%〜30%の利益。こんなウマい話はない。そうだ。本当にウマい話なんて無いのだ。当然しっぺ返しを喰らう。またドン底に落ちる。今思えば、この頃は墜落寸前から人並みにメシが食える様になれた事がただ嬉しかったのだ。でも、なんだか地に脚がついていなかった様に思う。KOMAのような小さな製造業にとって世間の景気動向などはほとんど関係ない。リーマンショックや構造計算書偽造問題などで業界の仕事は減っていたようだが事件当時は全く関係なかった。取引先の建築業者などが体力の尽きた順に次々と倒産し始めた2008年あたりからなんとなく意識するようになった。ある日突然、取引先と連絡がつかなくなる。気付いた時にはもう遅い。そして後日、弁護士からの倒産の通知が送られてくる。当然、金は支払われない。不良債権だ。100万の取引先もあれば300万なんていう取引先もいた。合計で2000万円近くヤラれた。もらえないけど、こっちは支払いがある。ヤッちまった。。。入金がゼロで支払いは600万なんていう月もあった。月末の支払いを考えると柄にもなく眠れなかった。夜中に一人、缶コーヒー片手に川沿いのベンチで貧乏揺すりをしながら過ごした。つい先週までニコニコ話をしていた取引先の社長や担当者たちの顔が浮かんだ。「畜生クソッタレ」を何千回も唱えた。それにしても9月の雑草に覆われた川沿いで夜中、一度も蚊に刺されなかった。蚊にとっても血が毒に感じる程、ものスゴい負のオーラを発していたんだろうと思う。とにかく払う。出来なきゃおしまい。一ヶ月でどうにかするしかねえ。これだけ決めて朝を迎えた。助けてくれたのはやっぱり仲間たちだった。ATOMリビンテックの上田さんをはじめ、事情を聞いてくれた仲間たちが在庫の家具を現金で買ってくれた。支払いに追われる月は続いたが、どうにか首の皮が繋がった。本当にありがたい。やっぱりどこにも足を向けて眠れないから立って寝るしかない。当然、貯金はゼロになって振り出しに戻ったが大きな経験ができた。仲間のありがたさを知った。オイシイ話は続かないってことも。笑思えば、そんな仲間たちとの最初の出会いの切っ掛けをつくってくれたのが緑川さんだった。ただ、事態は終わらない。元請けが倒産したと同時に多くの下請けたちも潰れた。しかし、孫請けとして発信や集客、営業などに余計な経費を掛けず、地道にコツコツ製作に集中してきた人達の多くが生き残った。それが意味するものは相場価格の値崩れだ。孫請けさんたちの価格が表に出てくる。依然として少ない仕事量に対する価格競争が始まる。とてもじゃないけど太刀打ちできない。2009年独自路線を目指すしかない。俺らだけの強みを活かそう。無垢の家具で勝負しよう。俺らにしか出来ない仕事をしよう。KOMAオリジナル家具をエンドユーザーに直接アプローチしよう。その為には会社として足りない機能が多くある。会社規模も3人じゃ足りない。すぐに切り替えられる訳ではないが、今のままじゃ潰れる。時間がない。家具は造れるけど売り方が解らない。見て知ってもらえる機会と場所がない。そして経費や時間、労力にも限りがある。最低限の商品や在庫は用意できて少しずつは進んでいたが、コレといった機会のないまま1年半が過ぎた。焦っていた。そんな時2011年4月。当時疎遠になっていた伊勢丹との関係を繋いでくれたのも緑川さんだった。新宿伊勢丹リビングフロアのメインステージ45平米のスペースで「KOMA家具展」を2週間。最高の環境だった。震災3,11の直後ということもあり売上目標の300万も売れるだろうか?と心配だった。結果は450万。俺たちだってヤレるじゃん!!ただただ嬉しかった。その後、各業界の大先輩方から多くの刺激と共に多様な機会を与えてもらえるようになった。それらのプロジェクトでの実績がまた次の仕事を呼んでくれた。そんな尊敬する彼らとの最初の切っ掛けを生んでくれたのもやはり緑川さんだった。人や機会を紹介する場合。あたりまえだが普通は「紹介してあげる」という立ち位置だろう。緑川さんは違う。「松岡〜めんどくせえかもしれねえけど、俺を助けると思って来てくれよ〜オマエしかいないんだよ〜」だ。いつもこう言って人や機会を繋いでくれていた。そしてウマくいったら「さすが松岡〜!頼んでよかった〜!」だ。恩を着せるなんて一切ない。「俺なんかさ、な〜んにも無えけどさ、こんな俺でもさ、俺にしか出来ない事があるんだよ。」そう言う緑川さんは自分の「分」の中で清々しく生きている人の代表格だ。際立った特技や才能など関係ない。彼の心に比べればどれも陳腐なもんだ。そんな緑川さんが言うのだ。「あと10年現役でいたいんだ。だってまだまだ自分自身に納得いってねえんだよ」カッコ良すぎるぜ!イカしてる!そんな緑川さんはちょくちょくKOMAの工房に顔を出してくれる。たまに飲みに行ったりもする。色々なアドバイスをくれるが、俺は聞かない。「うるせえな〜俺にクチ出しすんじゃねえよ〜笑」なんて生意気を言うと「ハハハ〜それが正解!お前の好きにヤルのが業界の未来だ!」な〜んて言ってくれる。でも彼が言ってくれた事は全部覚えている。亀井とギクシャクしてる時。「お前は幸せだな〜文句が言いあえる仲間がいるんだもんな〜」若い衆に腹を立てている時。「同じ事を何度も言えばイイじゃないの〜それがお前の勉強になるんだからさ〜」そして「今日も松岡に会えて良かった。良い話が聞けた。勉強になった〜」なんて彼の倅よりも年下の俺に言って帰っていくのだ。彼が繋いでくれているバトンを俺が次に繋ぐ為に、俺はもっと良い家具をつくろうと思う。 Mr. Keiji Midorikawa is in his 73 years old. I recognize him as the most cool person. He is extremely friendly and bright saying, "It is not mere...

松岡家の子供達
【松岡家の子供達】2000年 修行開始に産まれた長女。2003年 独立の時に産まれた長男。2009年 自社製品展開の時に次女。新たな挑戦の時、踏ん張りどころの度に産まれてきてくれた子供達。おかげさんで逃げないでいられた。やせ我慢ができた。ヤルしかねえって思えた。思えば親父らしい事など何もしていない。母子家庭のような状態だ。俺が親父として彼らに出来る事は、ただ愛おしく思うことだけだ。俺は俺でいっぱいいっぱいだ。教えたい事なんて特に無いけど、ただ見て伝わってほしいと思う。彼らに伝えたいのは、平等なんてものは無いってこと。容姿、能力、性格、環境、生まれながらにどこにも平等は無い。1日24時間。1年365日。この時間てやつですら平等ではない。与えられた時間と自ら選択し活動できる時間とでは全くの別ものだ。いつも当たりまえに不平等で理不尽だ。だからこそ人間は自由だということ。何一つ嘆く事なんて無い。夢や目標なんかに縛られないでほしい。そんな小さなことの為に自由を失ってはいけない。もっともっと大きな流れに沿って生きてほしい。大きな見方をすれば、自分の根本は変えられない。自分が出来る事や能力なんてそう多くはないし増える事もない。与えられた自分の「分」なんてものは既に決まっていてこの先も動かしようが無い。だから、どう足掻いても大きく未来は変えられない。もう既に決まっているストーリーの中で生きていると思う。全ての事はもう全部決まっている事なんだと思っている。あくまで自分の「分」の中でしか生きられない。分相応ってやつだ。それに抗うと進めなくなる。夢や目標がスムーズな流れの邪魔をする。求めた自由は遠ざかる。そんな事より今この瞬間を受け入れて大きな流れに身を任せること。自分の出来る事、人から求めてもらえる事をただいつも一生懸命やり続ければいい。そうやって自分と社会が繋がっていく。それが自由に繋がっている。だから見えない未来を怖がる必要は無い。必ず繋がっていくからだ。んで、いつか自分の生きる場所が見つかると良いなと思う。水なのか大地なのか、それとも空か。水なら海なのか川なのか湖か。もしかしたら池や沼かもしれない。憧れや理想なんかじゃなくて、本当に自分にとって心地の良いところ。沼より大海の方がイカしてるように感じるかもしれない。でもダメだ。沼の生物は海では生きられない。逆も同じ。自分は自分なのだ。理想とは違うかもしれないけど、それを受け入れられた時に自由は無限に広がる。自由とは社会と繋がれたことで、たった今この瞬間に無限に広がった選択肢。自由を与えてくれるのは自らの分を全うする社会に対する責任だ。職種の話じゃない。もちろん立場やお金の話でもない。心の在るべき場所の話だ。もっと生意気を言えば魂の拠り所だ。いつか、これの為に生きてきたんだと思える時が来る。そうやってきっと天命ってのに出会えるんだとと思う。とは言えこの親父もまだまだもがいている。せっかく乗っかれた心地良い大きな流れについ抗って見失ってしまう。まだ自分てもんが理解できていない。納得しきれていない。自分の小さな夢や目標に縛られてしまう。でも、それでいいんだと思っている。一生こんな感じかもな。とも思っている。自己採点ようやく20点の俺が今思えることだ。この境地に辿り着けた訳ではない。何となくそう思い始めたということだ。最近、中三の長女に言われた。「お父ちゃんがお父ちゃんで良かった」「あたりめえじゃん。自信あるぜ〜笑」と答えた。俺は彼らに本当に感謝している。カッコつけるためにやせ我慢ができた。お陰でどうにかこうにか格好がついている。 2000 First daughter was born at the beginning of my training. 2003 First son was born at the establishing own company. 2009 Second daughter was born when striating own...
松岡家の子供達
【松岡家の子供達】2000年 修行開始に産まれた長女。2003年 独立の時に産まれた長男。2009年 自社製品展開の時に次女。新たな挑戦の時、踏ん張りどころの度に産まれてきてくれた子供達。おかげさんで逃げないでいられた。やせ我慢ができた。ヤルしかねえって思えた。思えば親父らしい事など何もしていない。母子家庭のような状態だ。俺が親父として彼らに出来る事は、ただ愛おしく思うことだけだ。俺は俺でいっぱいいっぱいだ。教えたい事なんて特に無いけど、ただ見て伝わってほしいと思う。彼らに伝えたいのは、平等なんてものは無いってこと。容姿、能力、性格、環境、生まれながらにどこにも平等は無い。1日24時間。1年365日。この時間てやつですら平等ではない。与えられた時間と自ら選択し活動できる時間とでは全くの別ものだ。いつも当たりまえに不平等で理不尽だ。だからこそ人間は自由だということ。何一つ嘆く事なんて無い。夢や目標なんかに縛られないでほしい。そんな小さなことの為に自由を失ってはいけない。もっともっと大きな流れに沿って生きてほしい。大きな見方をすれば、自分の根本は変えられない。自分が出来る事や能力なんてそう多くはないし増える事もない。与えられた自分の「分」なんてものは既に決まっていてこの先も動かしようが無い。だから、どう足掻いても大きく未来は変えられない。もう既に決まっているストーリーの中で生きていると思う。全ての事はもう全部決まっている事なんだと思っている。あくまで自分の「分」の中でしか生きられない。分相応ってやつだ。それに抗うと進めなくなる。夢や目標がスムーズな流れの邪魔をする。求めた自由は遠ざかる。そんな事より今この瞬間を受け入れて大きな流れに身を任せること。自分の出来る事、人から求めてもらえる事をただいつも一生懸命やり続ければいい。そうやって自分と社会が繋がっていく。それが自由に繋がっている。だから見えない未来を怖がる必要は無い。必ず繋がっていくからだ。んで、いつか自分の生きる場所が見つかると良いなと思う。水なのか大地なのか、それとも空か。水なら海なのか川なのか湖か。もしかしたら池や沼かもしれない。憧れや理想なんかじゃなくて、本当に自分にとって心地の良いところ。沼より大海の方がイカしてるように感じるかもしれない。でもダメだ。沼の生物は海では生きられない。逆も同じ。自分は自分なのだ。理想とは違うかもしれないけど、それを受け入れられた時に自由は無限に広がる。自由とは社会と繋がれたことで、たった今この瞬間に無限に広がった選択肢。自由を与えてくれるのは自らの分を全うする社会に対する責任だ。職種の話じゃない。もちろん立場やお金の話でもない。心の在るべき場所の話だ。もっと生意気を言えば魂の拠り所だ。いつか、これの為に生きてきたんだと思える時が来る。そうやってきっと天命ってのに出会えるんだとと思う。とは言えこの親父もまだまだもがいている。せっかく乗っかれた心地良い大きな流れについ抗って見失ってしまう。まだ自分てもんが理解できていない。納得しきれていない。自分の小さな夢や目標に縛られてしまう。でも、それでいいんだと思っている。一生こんな感じかもな。とも思っている。自己採点ようやく20点の俺が今思えることだ。この境地に辿り着けた訳ではない。何となくそう思い始めたということだ。最近、中三の長女に言われた。「お父ちゃんがお父ちゃんで良かった」「あたりめえじゃん。自信あるぜ〜笑」と答えた。俺は彼らに本当に感謝している。カッコつけるためにやせ我慢ができた。お陰でどうにかこうにか格好がついている。 2000 First daughter was born at the beginning of my training. 2003 First son was born at the establishing own company. 2009 Second daughter was born when striating own...