DIARY
仲間
ここ最近KOMAもようやく組織らしきものになってきた様に思う。 亀井と一緒にスタートした18年前は単価の低い請け仕事ばかりで、いくらやっても利益にならず、ボロいワンボックスカーの中で梱包用の毛布にくるまって寝るなんて毎日。 「直営店を持って作品クオリティーの製品づくり」を目標にして修行に励み独立したはずなのに、求められるのはクオリティーよりも安さと速さだった。 取引先の質も最悪で倒産や夜逃げによって数百万の未払いを何度もくらい、その度に自分たちもグラグラとよろけて倒れそうになった。 理想には手が届かないどころか、もう何処にあるのかも見失いそうで悶々とする日々の中、自分ばかりがはずれクジを引かされて苦労をしているように錯覚し周りが見えなくなる。 「どんな時も大切なのは仲間なんだよ!仲間しかねえだろう!」 大先輩のその言葉は今でもずっと鼓膜に張り付いている。 「よく分かんないっすよ。俺は1人でも進めるし」 なんて生意気を返したように記憶している。 「オマエのそういうとこ嫌いじゃないぞ〜」 そう言ってサーフィンに誘ってくれた。 不思議なもので、その言葉への理解が深まるごとに一歩づつ前進するように思う。 良いものづくりがしたい。その意思は修行時代からずっと変わらない。 しかし、それを持続し高めるには製作スキル以外にそれを活かし支える環境が大切で、挙げればキリが無いほどの様々な要素がバランスよく集まって、持続的な良いものづくりの循環がうまれる。 今のKOMAには一人一人が自分の役割を理解し、向上心を持って仲間のために努力できる面々が集まっている。 そうやって苦手を補い得意を伸ばし合えるチームになってきたように感じる。 そんな彼らのおかげで、東京オリンピックや万博など日の丸を背負わせてもらえるシンボリックな仕事や海外での展開も広がってきた。...
仲間
ここ最近KOMAもようやく組織らしきものになってきた様に思う。 亀井と一緒にスタートした18年前は単価の低い請け仕事ばかりで、いくらやっても利益にならず、ボロいワンボックスカーの中で梱包用の毛布にくるまって寝るなんて毎日。 「直営店を持って作品クオリティーの製品づくり」を目標にして修行に励み独立したはずなのに、求められるのはクオリティーよりも安さと速さだった。 取引先の質も最悪で倒産や夜逃げによって数百万の未払いを何度もくらい、その度に自分たちもグラグラとよろけて倒れそうになった。 理想には手が届かないどころか、もう何処にあるのかも見失いそうで悶々とする日々の中、自分ばかりがはずれクジを引かされて苦労をしているように錯覚し周りが見えなくなる。 「どんな時も大切なのは仲間なんだよ!仲間しかねえだろう!」 大先輩のその言葉は今でもずっと鼓膜に張り付いている。 「よく分かんないっすよ。俺は1人でも進めるし」 なんて生意気を返したように記憶している。 「オマエのそういうとこ嫌いじゃないぞ〜」 そう言ってサーフィンに誘ってくれた。 不思議なもので、その言葉への理解が深まるごとに一歩づつ前進するように思う。 良いものづくりがしたい。その意思は修行時代からずっと変わらない。 しかし、それを持続し高めるには製作スキル以外にそれを活かし支える環境が大切で、挙げればキリが無いほどの様々な要素がバランスよく集まって、持続的な良いものづくりの循環がうまれる。 今のKOMAには一人一人が自分の役割を理解し、向上心を持って仲間のために努力できる面々が集まっている。 そうやって苦手を補い得意を伸ばし合えるチームになってきたように感じる。 そんな彼らのおかげで、東京オリンピックや万博など日の丸を背負わせてもらえるシンボリックな仕事や海外での展開も広がってきた。...
デザインについて
新作のデザインをする時にいつも思い出すことがある。 ちょうど10年前、オリジナルの家具を作って自社製品展開に向けてチャレンジしていた頃、人に誘われてインテリア関係のパーティーに参加した。 新作家具の写真をスクラップした手作りの作品ファイルを参加者の方々に見てもらっていると 「おいオマエいくつだ?」 そう声をかけてきたのは、グレーのセットアップを着た小柄だが妙に迫力がある男性で、ハットの裾からは白くなった長髪がのぞいていた。 「33歳です」そう答えると 持参した作品ファイルをバラバラと見ながら 「まだ若いから教えてやるけどな、オマエがしていることはデザインではない。テーマを持たない出来損ないのアートだ。職人がデザインをすると、作り手の都合ばかりで使い手にとって中身がないことが多いね」 「少しでも作り手としての個性を出そうと思って。。」そう答えると間髪入れずに返ってくる。 「オマエのは個性ではなく安っぽいエゴだ。安易に奇をてらってデザイナーの本質から逃げてるだけだ」 「デザイナーの本質って何ですか?木製家具みたいな古典的なプロダクトデザインなんて、とっくの昔に誰かの手で全部表現されてます」 「全てのフレーズは出尽くしていても、それでも自分だけのオリジナリティを探して生み出そうともがくのがデザイナーだ!!作りたい物をただ作ってるだけのオマエはデザインという行為を全く理解していない」 「じゃあデザインっていったいなんですか!?」 「人を幸せにする以外に何があるんだよ!」 文字通り雷を落とされて、真っ暗な頭の中を白い稲妻がバシッと走った。...
デザインについて
新作のデザインをする時にいつも思い出すことがある。 ちょうど10年前、オリジナルの家具を作って自社製品展開に向けてチャレンジしていた頃、人に誘われてインテリア関係のパーティーに参加した。 新作家具の写真をスクラップした手作りの作品ファイルを参加者の方々に見てもらっていると 「おいオマエいくつだ?」 そう声をかけてきたのは、グレーのセットアップを着た小柄だが妙に迫力がある男性で、ハットの裾からは白くなった長髪がのぞいていた。 「33歳です」そう答えると 持参した作品ファイルをバラバラと見ながら 「まだ若いから教えてやるけどな、オマエがしていることはデザインではない。テーマを持たない出来損ないのアートだ。職人がデザインをすると、作り手の都合ばかりで使い手にとって中身がないことが多いね」 「少しでも作り手としての個性を出そうと思って。。」そう答えると間髪入れずに返ってくる。 「オマエのは個性ではなく安っぽいエゴだ。安易に奇をてらってデザイナーの本質から逃げてるだけだ」 「デザイナーの本質って何ですか?木製家具みたいな古典的なプロダクトデザインなんて、とっくの昔に誰かの手で全部表現されてます」 「全てのフレーズは出尽くしていても、それでも自分だけのオリジナリティを探して生み出そうともがくのがデザイナーだ!!作りたい物をただ作ってるだけのオマエはデザインという行為を全く理解していない」 「じゃあデザインっていったいなんですか!?」 「人を幸せにする以外に何があるんだよ!」 文字通り雷を落とされて、真っ暗な頭の中を白い稲妻がバシッと走った。...
妻の誕生日
妻の誕生日には毎年、椅子を作ってプレゼントしている。 仕事ともコンテストとも違って結果を気にせず、ただお気楽に作れる年に一度の機会になっている。 彼女は俺の妻であり4人の子の母親でありKOMA shopの店主でもある。 20歳から15年勤めた百貨店を早期退職して「しばらくゆっくりしようかな」なんて言っていた妻に「どうしても今このタイミングで直営店をやって欲しい」などと無理を聞いてもらってKOMA shop は2013年に小さく10坪でスタートした。 あれから7年、少しづつ成長しながら今年で100坪近くにまで広くなったのは他ならぬ彼女の力によるものだ。 家具職人の修行を始めてすぐに結婚をして、その年に生まれた長女が2歳になった頃、突然「独立することにした」と言う俺に彼女は少しも反対しなかった。 独立をして程なく長男が生まれたが、俺は給料が稼げず、飯も食えずアパートの家賃すら払えない。それでも彼女は一言も文句を言わなかった。 それから何年かして少しはマシな生活ができるようになった頃、なぜ小言の一つもこぼさなかった?と聞いてみた。 「頑張れる男だと信じているから」と一言。 俺の妻は、とにかく格好の良い女なのだ。 Written by Shigeki Matsuoka
妻の誕生日
妻の誕生日には毎年、椅子を作ってプレゼントしている。 仕事ともコンテストとも違って結果を気にせず、ただお気楽に作れる年に一度の機会になっている。 彼女は俺の妻であり4人の子の母親でありKOMA shopの店主でもある。 20歳から15年勤めた百貨店を早期退職して「しばらくゆっくりしようかな」なんて言っていた妻に「どうしても今このタイミングで直営店をやって欲しい」などと無理を聞いてもらってKOMA shop は2013年に小さく10坪でスタートした。 あれから7年、少しづつ成長しながら今年で100坪近くにまで広くなったのは他ならぬ彼女の力によるものだ。 家具職人の修行を始めてすぐに結婚をして、その年に生まれた長女が2歳になった頃、突然「独立することにした」と言う俺に彼女は少しも反対しなかった。 独立をして程なく長男が生まれたが、俺は給料が稼げず、飯も食えずアパートの家賃すら払えない。それでも彼女は一言も文句を言わなかった。 それから何年かして少しはマシな生活ができるようになった頃、なぜ小言の一つもこぼさなかった?と聞いてみた。 「頑張れる男だと信じているから」と一言。 俺の妻は、とにかく格好の良い女なのだ。 Written by Shigeki Matsuoka
舟弘さんの刀
国から勲章を授与されるほどの名工である舟弘さんが作ってくれた大小あわせて11本の刀が届いた。 そしてこの桐箱に収まっている8本は、たくさん練習して技術を磨いた若い衆にプレゼントしていくつもりだ。 「こんなに長くて薄い刀は作った事がない」と3年前から断られていたが、今年の3月に直接プレゼンテーションをする機会をいただいた。 舟弘さんにジッと見られながらの作業は柄にもなく緊張したが「こんなふうに刀を使うのは初めて見た。こりゃあ長いのが必要だな。。」と舟弘さん。「もっと切れる刀があればまだまだ上達できます」そう言うと「よし!最高の刀を作りましょう!」と快諾してくれた。 それから数ヶ月、何度も電話でやりとりをする中で、舟弘さんにとっての職人としての喜びや技術を突き詰める楽しさなど、沢山の言葉をいただいた。 今回、彼が作ってくれた刀はただの道具ではなく、ものづくりのお手本のような物だ。 最高の道具を使うというのは、切れ味やその性能だけでなく、使う者の背筋を正してくれるような、そんな効能があるように思う。 今回、舟弘さんが作ってくれた刀の鋼は青紙をベースに炭素量を調整したものを用い、地金には善光寺で採れた数百年前の和鉄が使われている。 仕上がりが美しいのは言うまでもない。 刃の回転性を高めるために細く薄い造になっているうえに、刃先の維持を考慮して裏スキを深くえぐっているから驚くほど軽く、下手に扱えばすぐに曲がってしまうほど繊細である。 新しい刃物は使い手が自ら仕込む。 まずは刃裏の歪みを金床で研いだり木槌で叩いたりしながら真っ直ぐに仕立てる。そして荒い砥石で刃表を整えたら中砥石で研ぎはじめる。 古い和鉄は柔軟で刃の形が整えやすく、刃裏にはすぐにピシッと刃返りがたつ。そしていくつかの工程を踏んで、仕上げの天然砥石で研ぎ上がるにつれ、自然と刃返りが消えていくのが心地良い。 鋼のポテンシャルを引き出す為の研ぎやすさ。 そんな日々の使い勝手を創り上げるのも舟弘さんの火作りの技だ。 この日のために用意していた黒柿、黒檀、神代桂などの銘木で鞘と柄をじっくり時間をかけて作る。 さあいよいよ木肌に刃を入れてみる。 嘘みたいに切れる。抵抗なく刃が勝手に進んでいく。 そして薄く繊細であるのに刃先はしっかり粘って小さな刃こぼれ一つ無い。 道具としての用の美と作り手の意匠が見事に表現されているまさに理想の刀だ。 この道具に恥じない仕事をしようと思えることが有り難い。...
舟弘さんの刀
国から勲章を授与されるほどの名工である舟弘さんが作ってくれた大小あわせて11本の刀が届いた。 そしてこの桐箱に収まっている8本は、たくさん練習して技術を磨いた若い衆にプレゼントしていくつもりだ。 「こんなに長くて薄い刀は作った事がない」と3年前から断られていたが、今年の3月に直接プレゼンテーションをする機会をいただいた。 舟弘さんにジッと見られながらの作業は柄にもなく緊張したが「こんなふうに刀を使うのは初めて見た。こりゃあ長いのが必要だな。。」と舟弘さん。「もっと切れる刀があればまだまだ上達できます」そう言うと「よし!最高の刀を作りましょう!」と快諾してくれた。 それから数ヶ月、何度も電話でやりとりをする中で、舟弘さんにとっての職人としての喜びや技術を突き詰める楽しさなど、沢山の言葉をいただいた。 今回、彼が作ってくれた刀はただの道具ではなく、ものづくりのお手本のような物だ。 最高の道具を使うというのは、切れ味やその性能だけでなく、使う者の背筋を正してくれるような、そんな効能があるように思う。 今回、舟弘さんが作ってくれた刀の鋼は青紙をベースに炭素量を調整したものを用い、地金には善光寺で採れた数百年前の和鉄が使われている。 仕上がりが美しいのは言うまでもない。 刃の回転性を高めるために細く薄い造になっているうえに、刃先の維持を考慮して裏スキを深くえぐっているから驚くほど軽く、下手に扱えばすぐに曲がってしまうほど繊細である。 新しい刃物は使い手が自ら仕込む。 まずは刃裏の歪みを金床で研いだり木槌で叩いたりしながら真っ直ぐに仕立てる。そして荒い砥石で刃表を整えたら中砥石で研ぎはじめる。 古い和鉄は柔軟で刃の形が整えやすく、刃裏にはすぐにピシッと刃返りがたつ。そしていくつかの工程を踏んで、仕上げの天然砥石で研ぎ上がるにつれ、自然と刃返りが消えていくのが心地良い。 鋼のポテンシャルを引き出す為の研ぎやすさ。 そんな日々の使い勝手を創り上げるのも舟弘さんの火作りの技だ。 この日のために用意していた黒柿、黒檀、神代桂などの銘木で鞘と柄をじっくり時間をかけて作る。 さあいよいよ木肌に刃を入れてみる。 嘘みたいに切れる。抵抗なく刃が勝手に進んでいく。 そして薄く繊細であるのに刃先はしっかり粘って小さな刃こぼれ一つ無い。 道具としての用の美と作り手の意匠が見事に表現されているまさに理想の刀だ。 この道具に恥じない仕事をしようと思えることが有り難い。...
おままごとセット
今年で20歳になる長女が産まれた時に作ったおままごとセット。 まだ給料もろくに稼げない職人修行一年目の事だったが、あの時長女が産まれてきてくれたおかげで、たかが自分の事で一喜一憂する陳腐さと、人に対して責任が持てる事の有り難みを知れたように思う。 ちゃんと修行する覚悟が決まったというか、仕事を通じて仲間や家族、もっと言えば社会の役に立ちたいと思えるようになったというか、自分の中で確かに何かが変わって少しづつマシなものが作れるようになりながら今に繋がっているように思う。 それから長男、次女、まだ4歳になる次男と20年に渡って4人の子供が使い続けている。 お皿などいくつかは無くなってしまったようだが、まあ何はともあれ今でも我が家で活躍しているいのが嬉しい。 Written by Shigeki Matsuoka
おままごとセット
今年で20歳になる長女が産まれた時に作ったおままごとセット。 まだ給料もろくに稼げない職人修行一年目の事だったが、あの時長女が産まれてきてくれたおかげで、たかが自分の事で一喜一憂する陳腐さと、人に対して責任が持てる事の有り難みを知れたように思う。 ちゃんと修行する覚悟が決まったというか、仕事を通じて仲間や家族、もっと言えば社会の役に立ちたいと思えるようになったというか、自分の中で確かに何かが変わって少しづつマシなものが作れるようになりながら今に繋がっているように思う。 それから長男、次女、まだ4歳になる次男と20年に渡って4人の子供が使い続けている。 お皿などいくつかは無くなってしまったようだが、まあ何はともあれ今でも我が家で活躍しているいのが嬉しい。 Written by Shigeki Matsuoka
鉋の練習
この1ヶ月半、毎日深夜まで時間を忘れるほど夢中になって鉋の練習をしている。 きっかけは大工の渡辺さんとの出会いだ。 毎年行われる鉋の全国大会でも決勝常連のスペシャリストの彼は俺と同じ歳の42歳。彼が見せてくれた0.003ミリという薄さのカンナ屑はただの屑ではなく、突き詰められた美そのものだった。 「俺に鉋を教えて下さい!」 その日から東京と新潟で離れているがメールという文明の利器のお世話になって、ほとんど毎日、時には深夜まで俺の質問に彼が図解や動画を交えて本当に丁寧に教えてくれる日々が始まった。 砥石は何を?研ぎの順番は?刃の角度は?台の直し方は?などなど基礎からの質問に対して、彼は努力と年月を懸けて修得したノウハウを惜しむことなく伝えてくれる。 その教えを全てメモに整理して、一つ一つ実践していく毎日だ。 あまり簡単に感謝感謝と言うのも好きでないが、こればかりは「感謝」以外の言葉が見つからない。 「鉋の薄削り」という技術は大工さんが柱などを仕上げる時に使う技で家具づくりにおいて使うことはない。 しかし鉋という道具を究極まで突き詰める事で可能になる「薄削り」を身につけることは、自分の家具作りの底上げになるだろう。 そして何よりやってて楽しい! こんな機会を与えてくれた彼に思いっきり腕を振るった椅子を作ってお返ししようと思っている。 3月には新潟の渡辺さんの工房におじゃまして直接指導してもらう予定だ。 再会できることが楽しみで仕方がない。 Written by Shigeki Matsuoka
鉋の練習
この1ヶ月半、毎日深夜まで時間を忘れるほど夢中になって鉋の練習をしている。 きっかけは大工の渡辺さんとの出会いだ。 毎年行われる鉋の全国大会でも決勝常連のスペシャリストの彼は俺と同じ歳の42歳。彼が見せてくれた0.003ミリという薄さのカンナ屑はただの屑ではなく、突き詰められた美そのものだった。 「俺に鉋を教えて下さい!」 その日から東京と新潟で離れているがメールという文明の利器のお世話になって、ほとんど毎日、時には深夜まで俺の質問に彼が図解や動画を交えて本当に丁寧に教えてくれる日々が始まった。 砥石は何を?研ぎの順番は?刃の角度は?台の直し方は?などなど基礎からの質問に対して、彼は努力と年月を懸けて修得したノウハウを惜しむことなく伝えてくれる。 その教えを全てメモに整理して、一つ一つ実践していく毎日だ。 あまり簡単に感謝感謝と言うのも好きでないが、こればかりは「感謝」以外の言葉が見つからない。 「鉋の薄削り」という技術は大工さんが柱などを仕上げる時に使う技で家具づくりにおいて使うことはない。 しかし鉋という道具を究極まで突き詰める事で可能になる「薄削り」を身につけることは、自分の家具作りの底上げになるだろう。 そして何よりやってて楽しい! こんな機会を与えてくれた彼に思いっきり腕を振るった椅子を作ってお返ししようと思っている。 3月には新潟の渡辺さんの工房におじゃまして直接指導してもらう予定だ。 再会できることが楽しみで仕方がない。 Written by Shigeki Matsuoka