DIARY

NYのギャラリー
ニューヨークのすごく素敵なアートギャラリーからKOMAの作品を扱いたいというオファーをもらって2026年3月の本格的なスタートを目指して仕込みをはじめている。 新しい環境にチャレンジするときはいつだってそうだが、はたして自分のデザインや技術が通用するのか、期待に応えることができるのだろうかと不安になる。 しかし、この不安ていうやつが成長にとって一番の糧だということも知っている。 思えばKOMAの製品展開をスタートしたのは、2011年の東日本大震災の直後に開催した新宿伊勢丹での「KOMA家具展」からだった。下請けではなく自分たちのクリエイションで勝負がしたいと、仕事終わりの深夜を使って3年間作りだめた家具の数々を展示した。震災の影響で人もまばらで薄暗い店内の中、KOMAの家具が受け入れてもらえるのか不安で仕方なかったが、売り場に立った亀井の頑張りもあり上々の結果を得て、はじめて少し認めてもらえたような気がして嬉しくてたまらなかったことを覚えている。 2013年に直営店を出した時は不安というよりは、もうダメで元々一度でいいからチャレンジしてみたくて出店したのだった。今でもうまくいかない事はたくさんあるが店を切り盛りしてくれた妻の努力も大きく、少しづつ認知されて店は成長していった。お客さんが買ってくれる一つ一つに対して、受け入れてもらえた事への驚きに似た感動は今も変わらずに持っている。 2021年から世界のデザイン賞に挑戦し始めた時もそうだ。まだ歴史という強みのないKOMAにとってブランドとしての強みを得たい一心だったが、まさかこんなに多くの賞をいただけるとは想像もしていなかった。 自分自身がほめられたり祝われたりすることが似合わない人間であると理解しているし、一つ一つの結果が当たり前だとも思っていないが、今はこの25年間で積み上げてきたある種の自信を持っていることも事実で、少々のことでは不安を感じなくなってしまっている。 だから今回のNYギャラリーのような不安を感じる新たな挑戦を与えてもらえるのはすごくありがたい。 家具職人になって25年間ずっと変わらずに思い続けていることは「もっと良い家具が作りたい」というたった一つだ。その一つの原点のためだけに行動している。 作り手としての自分を高めていくことはもちろんだが、売上げや利益率を毎年伸ばす仕組みづくりも、人材を育てることも、KOMAを知って認めてもらうための環境づくりも、何もかも「もっと良い家具が作りたい」からやっている。 やっとの思いで一つ成長すると新しい課題が一つ見つかる。ようやく上手くいったと思ったら予期せぬ落とし穴に足をとられる。 その度に「まだまだだなあ」と舌打ちしながら進むのだ。 そうやって一緒にやってきた仲間たちと酒を交わしている時なんかに、白濁としていく頭のどこかで何となく「ちゃんと良い家具が作れている」なんて、ふと思える瞬間に出会えるのだ。Written by Shigeki MatsuokaLES ATELIERS COURBET A gallery in NY A beautiful art gallery in New York...
NYのギャラリー
ニューヨークのすごく素敵なアートギャラリーからKOMAの作品を扱いたいというオファーをもらって2026年3月の本格的なスタートを目指して仕込みをはじめている。 新しい環境にチャレンジするときはいつだってそうだが、はたして自分のデザインや技術が通用するのか、期待に応えることができるのだろうかと不安になる。 しかし、この不安ていうやつが成長にとって一番の糧だということも知っている。 思えばKOMAの製品展開をスタートしたのは、2011年の東日本大震災の直後に開催した新宿伊勢丹での「KOMA家具展」からだった。下請けではなく自分たちのクリエイションで勝負がしたいと、仕事終わりの深夜を使って3年間作りだめた家具の数々を展示した。震災の影響で人もまばらで薄暗い店内の中、KOMAの家具が受け入れてもらえるのか不安で仕方なかったが、売り場に立った亀井の頑張りもあり上々の結果を得て、はじめて少し認めてもらえたような気がして嬉しくてたまらなかったことを覚えている。 2013年に直営店を出した時は不安というよりは、もうダメで元々一度でいいからチャレンジしてみたくて出店したのだった。今でもうまくいかない事はたくさんあるが店を切り盛りしてくれた妻の努力も大きく、少しづつ認知されて店は成長していった。お客さんが買ってくれる一つ一つに対して、受け入れてもらえた事への驚きに似た感動は今も変わらずに持っている。 2021年から世界のデザイン賞に挑戦し始めた時もそうだ。まだ歴史という強みのないKOMAにとってブランドとしての強みを得たい一心だったが、まさかこんなに多くの賞をいただけるとは想像もしていなかった。 自分自身がほめられたり祝われたりすることが似合わない人間であると理解しているし、一つ一つの結果が当たり前だとも思っていないが、今はこの25年間で積み上げてきたある種の自信を持っていることも事実で、少々のことでは不安を感じなくなってしまっている。 だから今回のNYギャラリーのような不安を感じる新たな挑戦を与えてもらえるのはすごくありがたい。 家具職人になって25年間ずっと変わらずに思い続けていることは「もっと良い家具が作りたい」というたった一つだ。その一つの原点のためだけに行動している。 作り手としての自分を高めていくことはもちろんだが、売上げや利益率を毎年伸ばす仕組みづくりも、人材を育てることも、KOMAを知って認めてもらうための環境づくりも、何もかも「もっと良い家具が作りたい」からやっている。 やっとの思いで一つ成長すると新しい課題が一つ見つかる。ようやく上手くいったと思ったら予期せぬ落とし穴に足をとられる。 その度に「まだまだだなあ」と舌打ちしながら進むのだ。 そうやって一緒にやってきた仲間たちと酒を交わしている時なんかに、白濁としていく頭のどこかで何となく「ちゃんと良い家具が作れている」なんて、ふと思える瞬間に出会えるのだ。Written by Shigeki MatsuokaLES ATELIERS COURBET A gallery in NY A beautiful art gallery in New York...

maerge
新しく南青山にオープンするレストラン maerge のためにデザインした椅子だ。 ミシュランの星を持つオーナーシェフの柴田さんが世界一のレストランをつくるために各分野の一流達を集めた壮大なプロジェクトで、彼の要望は最高のスポークチェアだ。 今までに様々なジャンルの椅子を多く作ってきたが、座り心地を突き詰めるとやはりcocoda chairのような背中を立体的な3次曲面で支える椅子になる。 スポークチェアのような線で支える椅子で背中のクッションを使わずに座り心地に特化するのは難しく納得したものを作れたことがない。 だから今の製品ラインナップにもそういった椅子はない。 しかしクッションを置くことでスポークの椅子の特徴でもある空間における透過性は失われ、椅子そのもののサイズもその分大きくなってしまう。 これが20脚並ぶとなると店内全体の雰囲気に及ぼす影響は少なくない。 だからあえてクッションは使わずに木のスポークだけで最高の座り心地を探すことにして、まずは笠木からスポークの形状の設計をはじめた。 笠木を配置する高さとそれに合わせたカーブ、スポークの造形はさまざまな組み合わせを何度も試作しながら、腰回りの縦のカーブに合わせて3次元に削り出したスポークを背中全体の横の丸みにフィットするように配置した。 一言で背中と言っても肩周りを示す上部の他に中部、腰周りの下部など部位によってフィットするカーブが異なる。 ブーメランのような形状のスポークを下に向かって狭くなるように配置することで、ちょうど腰の反りを支える中部のカーブが上部の笠木のそれよりも小さくなるような工夫をして、スポークの構成でもそれぞれの部位に合わせた設計ができた。 次にアームの設計に取りかかる。 アームの高さはテーブルの下に収納できるように設計するのが一般的だが、実は座り心地に特化した場合それでは少し低く、ちょうどテーブルにぶつかる高さがベストなのだ。 余談だがKOMAの代表作の一つでもあるcocoda chairもレギュラーサイズは座り心地だけに特化するためテーブルの下にアームは収納できないサイズになっている。(lowタイプ、miniタイプと収納できるサイズも展開している) 柴田さんに座り比べてもらうと、たった数センチの差でこんなにも変わるのかと驚いていた。 世界中のレストランに足を運んできた彼だが、テーブルの下に収納できる高さのアームにしか座ったことがなく、これが当たり前だと思っていたが、こうして座り比べてみるとどこにも無い最高の座り心地を目指すと同時に収納の要素も取り入れるということで方向性が決定した。 そうして何度も試作を繰り返す中で、座り心地と収納、強度、空間の雰囲気やコンセプトに合わせるなど、必要とされる要素を叶えていった結果この有機的なフォルムがうまれた。 そうやってようやく完成した椅子に座っていると、何だか肘を置いた時の後脚の上部が邪魔に感じはじめてしまった。 一度気になりだすともうどうしようもない。 また一から設計を見直し原寸図を引き直す。 笠木のカーブを浅くすればそれは解消されるのだが、背中の当たりは悪くなる。 だから背中が当たる笠木の中心部と外側でカーブの大きさを変え後脚を後退させる工夫をするなど数ミリの変更を繰り返してようやく今の自分にとってのベストが完成した。 労力も時間も予算も関係なく、自分のベストが作れるまでやめないっていうのが大切だと思っている。 なぜならベターではなくベストは、次に自分自身が越えるべき壁となってくれるからだ。 そしてこの壁を越えたいと思えるから、ずっと情熱を忘れずにいられるのだ。 This...
maerge
新しく南青山にオープンするレストラン maerge のためにデザインした椅子だ。 ミシュランの星を持つオーナーシェフの柴田さんが世界一のレストランをつくるために各分野の一流達を集めた壮大なプロジェクトで、彼の要望は最高のスポークチェアだ。 今までに様々なジャンルの椅子を多く作ってきたが、座り心地を突き詰めるとやはりcocoda chairのような背中を立体的な3次曲面で支える椅子になる。 スポークチェアのような線で支える椅子で背中のクッションを使わずに座り心地に特化するのは難しく納得したものを作れたことがない。 だから今の製品ラインナップにもそういった椅子はない。 しかしクッションを置くことでスポークの椅子の特徴でもある空間における透過性は失われ、椅子そのもののサイズもその分大きくなってしまう。 これが20脚並ぶとなると店内全体の雰囲気に及ぼす影響は少なくない。 だからあえてクッションは使わずに木のスポークだけで最高の座り心地を探すことにして、まずは笠木からスポークの形状の設計をはじめた。 笠木を配置する高さとそれに合わせたカーブ、スポークの造形はさまざまな組み合わせを何度も試作しながら、腰回りの縦のカーブに合わせて3次元に削り出したスポークを背中全体の横の丸みにフィットするように配置した。 一言で背中と言っても肩周りを示す上部の他に中部、腰周りの下部など部位によってフィットするカーブが異なる。 ブーメランのような形状のスポークを下に向かって狭くなるように配置することで、ちょうど腰の反りを支える中部のカーブが上部の笠木のそれよりも小さくなるような工夫をして、スポークの構成でもそれぞれの部位に合わせた設計ができた。 次にアームの設計に取りかかる。 アームの高さはテーブルの下に収納できるように設計するのが一般的だが、実は座り心地に特化した場合それでは少し低く、ちょうどテーブルにぶつかる高さがベストなのだ。 余談だがKOMAの代表作の一つでもあるcocoda chairもレギュラーサイズは座り心地だけに特化するためテーブルの下にアームは収納できないサイズになっている。(lowタイプ、miniタイプと収納できるサイズも展開している) 柴田さんに座り比べてもらうと、たった数センチの差でこんなにも変わるのかと驚いていた。 世界中のレストランに足を運んできた彼だが、テーブルの下に収納できる高さのアームにしか座ったことがなく、これが当たり前だと思っていたが、こうして座り比べてみるとどこにも無い最高の座り心地を目指すと同時に収納の要素も取り入れるということで方向性が決定した。 そうして何度も試作を繰り返す中で、座り心地と収納、強度、空間の雰囲気やコンセプトに合わせるなど、必要とされる要素を叶えていった結果この有機的なフォルムがうまれた。 そうやってようやく完成した椅子に座っていると、何だか肘を置いた時の後脚の上部が邪魔に感じはじめてしまった。 一度気になりだすともうどうしようもない。 また一から設計を見直し原寸図を引き直す。 笠木のカーブを浅くすればそれは解消されるのだが、背中の当たりは悪くなる。 だから背中が当たる笠木の中心部と外側でカーブの大きさを変え後脚を後退させる工夫をするなど数ミリの変更を繰り返してようやく今の自分にとってのベストが完成した。 労力も時間も予算も関係なく、自分のベストが作れるまでやめないっていうのが大切だと思っている。 なぜならベターではなくベストは、次に自分自身が越えるべき壁となってくれるからだ。 そしてこの壁を越えたいと思えるから、ずっと情熱を忘れずにいられるのだ。 This...

surfboard chair
いちばん古い趣味はバイクで、10代の頃から70〜80年代のいわゆる旧車というヤツの独特なサウンドや走り、現代の工業製品には無いどこか生き物を感じさせる未完成な魅力にやられている。 バックカントリーを滑りにいくスノーボードは「もしかしたら。。」なんていつも身の危険を感じながらも真っ白な静寂とパウダースノーの誘惑に負けてつい雪山に向かってしまう。 そうやって、それなりに本気で向き合いながら長年続けている大切な趣味がいくつかあるが、もしどれか1つにしろと言われたら、迷わずサーフィンと答える。 白みゆく空と一体になった朝靄の海の中を沖に向かってパドリングしていると「ここはこの世じゃないのかも」なんて少し恐怖を感じるほどの絶景に出会える。 ツルツルに整った海面は水を超えた美しい何かとなって一面に広がり、そのはるか向こうの水平線が少し歪んで色が変わるとウネリがこっちに向かってくる。 その瞬間は何万回でもいつも新鮮なドキドキでいっぱいになる。 そして、波というエネルギーの上を滑っている時なんて。。 世の中には言葉などでは表現できないことばかりで、サーフィンはどの瞬間も言い表すのが難しい。 そんな週に1、2回の非日常は、もう手放すことができない生活の一部になっているのにいつまで経ってもただの当たり前にはならない。 海から上がってカラッポになった頭でそんなことを感じる度に、仕事とか仲間とか家族とか、全てのいつもの日常も特別なものばかりなんだとあらためて気づけて嬉しくなる。 昨年の誕生日に妻がプレゼントしてくれた事がきっかけとなって、サーフィンの魅力の一つにサーフボードの美しさっていうのが加わった。 自分がいつも手で木を削っているから余計にそう思うのかもしれないが、ハンドシェイプのサーフボードはただの道具ではなく職人の意匠が詰まった作品だ。 そんな超お気に入りな逸品を飾るための椅子を作ってみたくなった。 Written by Shigeki Matsuoka surfboard chairの詳細はこちら
surfboard chair
いちばん古い趣味はバイクで、10代の頃から70〜80年代のいわゆる旧車というヤツの独特なサウンドや走り、現代の工業製品には無いどこか生き物を感じさせる未完成な魅力にやられている。 バックカントリーを滑りにいくスノーボードは「もしかしたら。。」なんていつも身の危険を感じながらも真っ白な静寂とパウダースノーの誘惑に負けてつい雪山に向かってしまう。 そうやって、それなりに本気で向き合いながら長年続けている大切な趣味がいくつかあるが、もしどれか1つにしろと言われたら、迷わずサーフィンと答える。 白みゆく空と一体になった朝靄の海の中を沖に向かってパドリングしていると「ここはこの世じゃないのかも」なんて少し恐怖を感じるほどの絶景に出会える。 ツルツルに整った海面は水を超えた美しい何かとなって一面に広がり、そのはるか向こうの水平線が少し歪んで色が変わるとウネリがこっちに向かってくる。 その瞬間は何万回でもいつも新鮮なドキドキでいっぱいになる。 そして、波というエネルギーの上を滑っている時なんて。。 世の中には言葉などでは表現できないことばかりで、サーフィンはどの瞬間も言い表すのが難しい。 そんな週に1、2回の非日常は、もう手放すことができない生活の一部になっているのにいつまで経ってもただの当たり前にはならない。 海から上がってカラッポになった頭でそんなことを感じる度に、仕事とか仲間とか家族とか、全てのいつもの日常も特別なものばかりなんだとあらためて気づけて嬉しくなる。 昨年の誕生日に妻がプレゼントしてくれた事がきっかけとなって、サーフィンの魅力の一つにサーフボードの美しさっていうのが加わった。 自分がいつも手で木を削っているから余計にそう思うのかもしれないが、ハンドシェイプのサーフボードはただの道具ではなく職人の意匠が詰まった作品だ。 そんな超お気に入りな逸品を飾るための椅子を作ってみたくなった。 Written by Shigeki Matsuoka surfboard chairの詳細はこちら

環境整備
昨年の春に残業をゼロにしてから一年間継続できて素直に嬉しい。 全力で集中できるのはせいぜい1日8時間が限界だと思うし、同じ成果ならなるべく短い時間で終わった方が良いに決まっている。 だから効果的に残業を無くすことで仕事の効率も上りスキルアップやチャレンジに時間を使えて、売上や利益率も伸びるだろうとずっと思ってはいたが、何事も口で言うのは簡単で実行するのは難しい。 KOMAを立ち上げた20年前は徹夜なんて当たり前だったし、つい10年前も休みなく深夜まで働いていた。 それから数年をかけて残業時間を2時間、1時間、30分と少しづつ短くしてようやくゼロにできた。 「経営者として従業員の仕事環境を整えたい」なんていうのは建前で、根性も能力も無いくせに辞める時に会社のせいにされるのがムカつくっていうのが本音だ。 だからグウの音も出ない会社にしたいと思っている。 あれから1年みんなで協力しあって一度も残業をしていない。 その結果、売上は前期と比べて30%伸びた。 そして今では年間110日から最大130日の休みがあって、社会保険はもちろん長期休業保証も育児休暇も退職金制度、扶養手当などなど多くの手当や保証もある。 若い衆が作った作品を買い取る制度や会社運営に参加し意見できる機会など、いつでもチャンスがある環境に加え、個人のスキルや貢献度、業務内容などを細かく見えるようにした評価制度もあって、実力と結果によるが給料も良い。 こうして聞くと良い事ばかりなように感じるが誰にとっても良いわけではない。 やりがいと結果を得て成長を実感し楽しめるのは、自分の現状を理解し役割を見つけられる者に限定されるからだ。 そうでない者にとってこの環境は、素晴らしい作品を次々に生み出す者や会社の運営に能動的に関わる者と比較され能力や結果が丸裸になり、ごまかしも効かず逃げ出したくなるだろう。 優秀な者ほど多くの選択肢の中から自分で的を絞って黙々と真っ直ぐに進むことができるが、無能な者はありもしない選択肢を見て理想を口にするばかりで行動ができないから成長もしない。 クリーンで良い仕事環境になればなるほど結果的にフルイの網目は大きくなり、そのフィールドに残れる者が限定される形となった。 ここ数年は多くの就職希望の履歴書が届くが、採用人数も少ないから倍率は20〜30倍になることもある。 採用する際の基準は、今のKOMAに新鮮な風を吹かせて新しい原動力になってくれる人材か否かだ。 だからKOMAには多種多様な才能が集まり、家具のデザインや製作、販売、企画はもちろん、カタログやホームページの構成デザイン、宣伝広告、海外とのやり取りなどなど全てのことを社内で行なっている。 そう聞くと敷居が高く感じるかもしれないが 「誰にも負けないくらいの元気で今よりもっとKOMAを明るくできます!」 なんていうシンプルなものでも本当にできるなら大歓迎だ。 会社は一人一人の仲間たちで出来ている。 デキるヤツらが自分たちのためにさらに良い環境を創るという好循環ができて、会社の成長は加速していいる。 日々進化が実感できるKOMAという会社がすごく楽しい今日この頃。 Written by Shigeki Matsuoka
環境整備
昨年の春に残業をゼロにしてから一年間継続できて素直に嬉しい。 全力で集中できるのはせいぜい1日8時間が限界だと思うし、同じ成果ならなるべく短い時間で終わった方が良いに決まっている。 だから効果的に残業を無くすことで仕事の効率も上りスキルアップやチャレンジに時間を使えて、売上や利益率も伸びるだろうとずっと思ってはいたが、何事も口で言うのは簡単で実行するのは難しい。 KOMAを立ち上げた20年前は徹夜なんて当たり前だったし、つい10年前も休みなく深夜まで働いていた。 それから数年をかけて残業時間を2時間、1時間、30分と少しづつ短くしてようやくゼロにできた。 「経営者として従業員の仕事環境を整えたい」なんていうのは建前で、根性も能力も無いくせに辞める時に会社のせいにされるのがムカつくっていうのが本音だ。 だからグウの音も出ない会社にしたいと思っている。 あれから1年みんなで協力しあって一度も残業をしていない。 その結果、売上は前期と比べて30%伸びた。 そして今では年間110日から最大130日の休みがあって、社会保険はもちろん長期休業保証も育児休暇も退職金制度、扶養手当などなど多くの手当や保証もある。 若い衆が作った作品を買い取る制度や会社運営に参加し意見できる機会など、いつでもチャンスがある環境に加え、個人のスキルや貢献度、業務内容などを細かく見えるようにした評価制度もあって、実力と結果によるが給料も良い。 こうして聞くと良い事ばかりなように感じるが誰にとっても良いわけではない。 やりがいと結果を得て成長を実感し楽しめるのは、自分の現状を理解し役割を見つけられる者に限定されるからだ。 そうでない者にとってこの環境は、素晴らしい作品を次々に生み出す者や会社の運営に能動的に関わる者と比較され能力や結果が丸裸になり、ごまかしも効かず逃げ出したくなるだろう。 優秀な者ほど多くの選択肢の中から自分で的を絞って黙々と真っ直ぐに進むことができるが、無能な者はありもしない選択肢を見て理想を口にするばかりで行動ができないから成長もしない。 クリーンで良い仕事環境になればなるほど結果的にフルイの網目は大きくなり、そのフィールドに残れる者が限定される形となった。 ここ数年は多くの就職希望の履歴書が届くが、採用人数も少ないから倍率は20〜30倍になることもある。 採用する際の基準は、今のKOMAに新鮮な風を吹かせて新しい原動力になってくれる人材か否かだ。 だからKOMAには多種多様な才能が集まり、家具のデザインや製作、販売、企画はもちろん、カタログやホームページの構成デザイン、宣伝広告、海外とのやり取りなどなど全てのことを社内で行なっている。 そう聞くと敷居が高く感じるかもしれないが 「誰にも負けないくらいの元気で今よりもっとKOMAを明るくできます!」 なんていうシンプルなものでも本当にできるなら大歓迎だ。 会社は一人一人の仲間たちで出来ている。 デキるヤツらが自分たちのためにさらに良い環境を創るという好循環ができて、会社の成長は加速していいる。 日々進化が実感できるKOMAという会社がすごく楽しい今日この頃。 Written by Shigeki Matsuoka

久田拓のスツール
若い衆達が自由に作った作品を会社が買い取って販売する「若い衆作品」という制度がある。それらを若い衆が発表し俺が批評する場を設けてかれこれ7、8年が経ち、そうやって毎月生まれてくる作品の中から特に優秀なものを製品化してKOMAのラインナップに加えている。 しかし製品化に求められる要素は数多くありそして厳しい。まず用途を叶えるためのフォルムや掛けた手間に相応する価値が表現できているか、製造工程まで考えデザインした上でオリジナリティがあるか、そして作者の意思を感じることができるか、などなどだ。 若い衆作品から生まれた製品は今のところまだまだ小物ばかりだが、これからのみんなの活躍が楽しみだ。 さて今回の久田拓のスツールだが、今までの若い衆作品の中で最も優れていると評価している。 試作を繰り返す中で、脚の開きの角度の修正を何度も行なっていた。角度を閉じすぎるとスタッキングした時の重なりが浅くなり、逆に広げすぎると強度的な問題に加え足の小指をぶつけやすくなってしまう。そして、スタッキングした時に下のスツールの座面と上に重なるスツールの台輪との半端な隙間を嫌い、ちょうど綺麗に重なる位置にもこだわっていた。そうやって部材一つ一つのサイズや面の形状など全ての工程で最良の選択をしながら、フォルムだけでなく制作工程や製造本数、価格帯まで理にかなったデザインをしていく。 「そうなってしまった」のか「あえてそうした」のかその制作物の全ての部材や角度、あらゆるフォルムに至るまで必ず「あえてそうした」という作り手の意思が正確に伝わらなければならない。 そのこだわりが人に伝わる物こそ秀作であり、人に伝わらない無意味な意思から生まれた物などいつだって駄作である。 ものづくりは言語を超えたコミュニケーションができる。作り手の意思が伝わる良い物を目にした時、たとえ言葉が通じなくても互いに笑顔で称え認め合える。そこには国籍や性別、年齢や立場も何も関係ない。 今回の久田が作ったこのkapo stoolは、言い訳をせず黙々と目標に向かっていく彼の人柄がよく伝わってくる秀作だ。普通だったら面倒だと敬遠するような工程を楽しみ工夫しながら何度も挑戦した跡が随所に見える。 彼が正月に発表した2025年の目標は「座る道具を毎月1脚つくる」ことだ。 だから毎月の作品発表がすごく楽しみなのだ。 We have “young craftsmen’s works” category at KOMA. We pay the craftsmen for the price of the...
久田拓のスツール
若い衆達が自由に作った作品を会社が買い取って販売する「若い衆作品」という制度がある。それらを若い衆が発表し俺が批評する場を設けてかれこれ7、8年が経ち、そうやって毎月生まれてくる作品の中から特に優秀なものを製品化してKOMAのラインナップに加えている。 しかし製品化に求められる要素は数多くありそして厳しい。まず用途を叶えるためのフォルムや掛けた手間に相応する価値が表現できているか、製造工程まで考えデザインした上でオリジナリティがあるか、そして作者の意思を感じることができるか、などなどだ。 若い衆作品から生まれた製品は今のところまだまだ小物ばかりだが、これからのみんなの活躍が楽しみだ。 さて今回の久田拓のスツールだが、今までの若い衆作品の中で最も優れていると評価している。 試作を繰り返す中で、脚の開きの角度の修正を何度も行なっていた。角度を閉じすぎるとスタッキングした時の重なりが浅くなり、逆に広げすぎると強度的な問題に加え足の小指をぶつけやすくなってしまう。そして、スタッキングした時に下のスツールの座面と上に重なるスツールの台輪との半端な隙間を嫌い、ちょうど綺麗に重なる位置にもこだわっていた。そうやって部材一つ一つのサイズや面の形状など全ての工程で最良の選択をしながら、フォルムだけでなく制作工程や製造本数、価格帯まで理にかなったデザインをしていく。 「そうなってしまった」のか「あえてそうした」のかその制作物の全ての部材や角度、あらゆるフォルムに至るまで必ず「あえてそうした」という作り手の意思が正確に伝わらなければならない。 そのこだわりが人に伝わる物こそ秀作であり、人に伝わらない無意味な意思から生まれた物などいつだって駄作である。 ものづくりは言語を超えたコミュニケーションができる。作り手の意思が伝わる良い物を目にした時、たとえ言葉が通じなくても互いに笑顔で称え認め合える。そこには国籍や性別、年齢や立場も何も関係ない。 今回の久田が作ったこのkapo stoolは、言い訳をせず黙々と目標に向かっていく彼の人柄がよく伝わってくる秀作だ。普通だったら面倒だと敬遠するような工程を楽しみ工夫しながら何度も挑戦した跡が随所に見える。 彼が正月に発表した2025年の目標は「座る道具を毎月1脚つくる」ことだ。 だから毎月の作品発表がすごく楽しみなのだ。 We have “young craftsmen’s works” category at KOMA. We pay the craftsmen for the price of the...

根性論
時代遅れらしい「根性」という言葉を辞書で調べてみると、 「物事を最後までやり抜く精神」とある。 仕事をする上で、小さな成功事例を積み上げていくことは何より大切だ。それを解決するのに「最後までやり抜く精神」以外に必要なことなどあるだろうか。 当たり前だが、自分が思うほど評価なんて得られないし上手くいかない事ばかりだ。しかし評価されるまで、上手くいくまで、投げ出さずにただ黙って続ける以外に解決方法などないと思う。 この「続ける」という本質から逃げる根性無しほど、有りもしないスキルがどうとかノウハウがこうとか屁理屈ばかりで中身が無い。数年続けた程度の半端なスキルやノウハウに価値など無い。何事も人が真似できないレベルでなければ評価など得られないからだ。 しかし、そのレベルまで高めるのはとてもじゃないが一朝一夕にはいかない。特に仕事においては自分の価値は他人の評価が全てを決める。だから、与えられる仕事や評価は自分が求めるそれではないかもしれない。 それでもなんでも黙々と自分のすべきことを最後までやり抜いてチームに貢献する人。 これが年齢も何も関係なく必要とされる人材だ。必要とされた分だけチャンスも得られる。だから必ず成長するし、自分の理想を手に入れていく人だ。 この3月で家具職人の修行を始めて23年経った。 当時は自分でも驚くほど出来が悪くて、若い衆の中でも最低の評価をつけられていた。失敗しては怒られての毎日だったが、それでも朝晩の自主練習は毎日欠かさなかった。 そして1年半が経った頃、 「毎日練習して。。おまえ根性あるなあ」 はじめて褒めてもらえたことが泣けるほど嬉しかったのを覚えている。 俺が23年間やってきたのはただこれだけだ。上手くいくまで、認めてもらえるまでただ続けるだけ。誰かが求めてくれたことに応えようと無我夢中になっていたら、その度になんとなくスキルらしきものが身につくのだ。その価値に気付かず自分のやりたい事ばかりしか見えない人間は三流にすらなれない永遠の素人である。 日々積み上げていくものなんて本当に小さなものでいい。「昨日より少し上手に刃が研げた」とか「仲間が喜んでくれた」とか大切なのは毎日何かを感じること。 小さな塵みたいな成功事例が積もって積もってまだ山とはならないが、ちょっとした丘くらいにはなったかなと思う24年目の今日この頃。 Thoughts about guts When I look up whats said to be the...
根性論
時代遅れらしい「根性」という言葉を辞書で調べてみると、 「物事を最後までやり抜く精神」とある。 仕事をする上で、小さな成功事例を積み上げていくことは何より大切だ。それを解決するのに「最後までやり抜く精神」以外に必要なことなどあるだろうか。 当たり前だが、自分が思うほど評価なんて得られないし上手くいかない事ばかりだ。しかし評価されるまで、上手くいくまで、投げ出さずにただ黙って続ける以外に解決方法などないと思う。 この「続ける」という本質から逃げる根性無しほど、有りもしないスキルがどうとかノウハウがこうとか屁理屈ばかりで中身が無い。数年続けた程度の半端なスキルやノウハウに価値など無い。何事も人が真似できないレベルでなければ評価など得られないからだ。 しかし、そのレベルまで高めるのはとてもじゃないが一朝一夕にはいかない。特に仕事においては自分の価値は他人の評価が全てを決める。だから、与えられる仕事や評価は自分が求めるそれではないかもしれない。 それでもなんでも黙々と自分のすべきことを最後までやり抜いてチームに貢献する人。 これが年齢も何も関係なく必要とされる人材だ。必要とされた分だけチャンスも得られる。だから必ず成長するし、自分の理想を手に入れていく人だ。 この3月で家具職人の修行を始めて23年経った。 当時は自分でも驚くほど出来が悪くて、若い衆の中でも最低の評価をつけられていた。失敗しては怒られての毎日だったが、それでも朝晩の自主練習は毎日欠かさなかった。 そして1年半が経った頃、 「毎日練習して。。おまえ根性あるなあ」 はじめて褒めてもらえたことが泣けるほど嬉しかったのを覚えている。 俺が23年間やってきたのはただこれだけだ。上手くいくまで、認めてもらえるまでただ続けるだけ。誰かが求めてくれたことに応えようと無我夢中になっていたら、その度になんとなくスキルらしきものが身につくのだ。その価値に気付かず自分のやりたい事ばかりしか見えない人間は三流にすらなれない永遠の素人である。 日々積み上げていくものなんて本当に小さなものでいい。「昨日より少し上手に刃が研げた」とか「仲間が喜んでくれた」とか大切なのは毎日何かを感じること。 小さな塵みたいな成功事例が積もって積もってまだ山とはならないが、ちょっとした丘くらいにはなったかなと思う24年目の今日この頃。 Thoughts about guts When I look up whats said to be the...