DIARY

俺と亀井と青山支店
この夏、東京の青山に2号店を出せることになった。 まだ薄い上着を羽織っていたから4月頃だったと記憶しているが、1~2年後を目標に青山出店の計画を立てるため、まずは家賃相場を見に亀井やショップのメンバーと青山へ連れ立った。 ただのそれだけだったから全くの予定外だったのだが、外苑西通り沿いにあるその小さなビルにみんなで一緒に一目惚れをしてしまった。 それは小さな4階建てで、こじんまりとしているがフロアーが分かれているからいろんな試みができそうだった。 そして打ちっぱなしのコンクリートがところどころ朽ちている感じが良い雰囲気を出していて、本店の荻窪店と同様にどこか物作りの現場のような匂いがするところもすごく気に入った。 「どうする?すごい良かったな?」 「いやいや準備も計画も何もしてないよ?」 「でももう出会えないかもよ?」 「いやいや今の今はまだ早いんじゃない?」 シラフで出来る話じゃないとビールを飲みながら30分。 「何とかなるだろ!やってみよう!」 そんなふうにしてすぐに出店が決まった。 思えば20年前、まだ25歳だった俺と亀井でKOMAの立ち上げ準備をしていた頃。 あんなふうになりたい、こんな物が作りたい、どんな店を持ちたいなどと夢を見ながら、とてもじゃないが手の届かないこの青山の街を憧れの眼差しで何度も歩き回ったことを思い出す。 それから20年の間、俺と亀井の関係は様々だった。 一年で喧嘩別れをして、また一緒にはじめたり、互いを認め合えない時期もあったが、ピンチの時こそ絶対に逃げない亀井の姿勢が何度もKOMAを救ってきた。 そんな紆余曲折を経て深厚な敬意と信頼が持てるようになった今、俺たちは最高の相棒になれたと思っている。 それもこれも、クソみたいな人間である俺に対するあいつの努力と我慢の賜物だと理解している。...
俺と亀井と青山支店
この夏、東京の青山に2号店を出せることになった。 まだ薄い上着を羽織っていたから4月頃だったと記憶しているが、1~2年後を目標に青山出店の計画を立てるため、まずは家賃相場を見に亀井やショップのメンバーと青山へ連れ立った。 ただのそれだけだったから全くの予定外だったのだが、外苑西通り沿いにあるその小さなビルにみんなで一緒に一目惚れをしてしまった。 それは小さな4階建てで、こじんまりとしているがフロアーが分かれているからいろんな試みができそうだった。 そして打ちっぱなしのコンクリートがところどころ朽ちている感じが良い雰囲気を出していて、本店の荻窪店と同様にどこか物作りの現場のような匂いがするところもすごく気に入った。 「どうする?すごい良かったな?」 「いやいや準備も計画も何もしてないよ?」 「でももう出会えないかもよ?」 「いやいや今の今はまだ早いんじゃない?」 シラフで出来る話じゃないとビールを飲みながら30分。 「何とかなるだろ!やってみよう!」 そんなふうにしてすぐに出店が決まった。 思えば20年前、まだ25歳だった俺と亀井でKOMAの立ち上げ準備をしていた頃。 あんなふうになりたい、こんな物が作りたい、どんな店を持ちたいなどと夢を見ながら、とてもじゃないが手の届かないこの青山の街を憧れの眼差しで何度も歩き回ったことを思い出す。 それから20年の間、俺と亀井の関係は様々だった。 一年で喧嘩別れをして、また一緒にはじめたり、互いを認め合えない時期もあったが、ピンチの時こそ絶対に逃げない亀井の姿勢が何度もKOMAを救ってきた。 そんな紆余曲折を経て深厚な敬意と信頼が持てるようになった今、俺たちは最高の相棒になれたと思っている。 それもこれも、クソみたいな人間である俺に対するあいつの努力と我慢の賜物だと理解している。...

従業員じゃなくて仲間
家具製作やデザイン以外に会社を運営するというのも俺の役割の一つだ。 とは言えまだ20人にも満たない小さな会社をやっているだけで、べつに経営者なんて程の者ではないと自覚しているが、一応トップとしてやらなきゃならないことはある。 まずは「楽しそうな未来を想像してそれが叶うまでブレないこと」 あれやこれやと迷ったり引き返したりしても、それはゴールに向かうために必要な過程であって達成するまでヤリ切るということ。 そして最も大切にしているのは「ただの従業員ではなく、仲間になってもらうこと」 一緒に会社づくりに参加してもらって小さな成功を共に楽しんでもらう。 会社の方向性に対してテメエの都合でブーブー文句を言うクソ従業員ではなく、どうやったら最短最速で達成できるかを共に考え行動してくれる仲間だ。 全員参加で昼間っから呑み食いしながら無礼講で会社に対して意見を言い合う「クリエイティブDAY」なんていう日もある。 新人でも誰でも意見が言えてそれが採用されればすぐ翌日から会社が動くようにいつも心掛けている。 最近ではサーフィン、スノーボード、バイク、キャンプ、釣り、書道などなどそれぞれの趣味を共有して思いきり楽しむ「部活の日」なんていうのも始まって、そんな全てが良いチームをつくり良いものづくりに繋がっている。 サラリーマンから職人に転向してきた遠藤が言ったことがある。 「以前は会社の大きな船にただ乗ってる感覚だったけど、KOMAは小さなボートで大海原に出るのをリアルに感じる。それぞれの得意分野を活かして、方位磁石を見たりオールを漕いだり魚を釣って飯を用意する。そこにやり甲斐や楽しみを感じる」 そうそう。ちゃんと伝わってるなぁと思った。 「経営者は孤独」なんて言葉を耳にするけど、それは経営者と従業員の間に立場という垣根を作るからだろう。 トップとしての俺の仕事は仲間を大切にして、示した方向の責任をとるだけで特別な事じゃない。立場じゃなくてただ役割が違うだけだと思っている。 だからKOMAにいるのは経営者とか従業員じゃなくて、少しづつ船が大きくなってちょっと遠くに行けるようになったことを共に喜べるクルーだ。
従業員じゃなくて仲間
家具製作やデザイン以外に会社を運営するというのも俺の役割の一つだ。 とは言えまだ20人にも満たない小さな会社をやっているだけで、べつに経営者なんて程の者ではないと自覚しているが、一応トップとしてやらなきゃならないことはある。 まずは「楽しそうな未来を想像してそれが叶うまでブレないこと」 あれやこれやと迷ったり引き返したりしても、それはゴールに向かうために必要な過程であって達成するまでヤリ切るということ。 そして最も大切にしているのは「ただの従業員ではなく、仲間になってもらうこと」 一緒に会社づくりに参加してもらって小さな成功を共に楽しんでもらう。 会社の方向性に対してテメエの都合でブーブー文句を言うクソ従業員ではなく、どうやったら最短最速で達成できるかを共に考え行動してくれる仲間だ。 全員参加で昼間っから呑み食いしながら無礼講で会社に対して意見を言い合う「クリエイティブDAY」なんていう日もある。 新人でも誰でも意見が言えてそれが採用されればすぐ翌日から会社が動くようにいつも心掛けている。 最近ではサーフィン、スノーボード、バイク、キャンプ、釣り、書道などなどそれぞれの趣味を共有して思いきり楽しむ「部活の日」なんていうのも始まって、そんな全てが良いチームをつくり良いものづくりに繋がっている。 サラリーマンから職人に転向してきた遠藤が言ったことがある。 「以前は会社の大きな船にただ乗ってる感覚だったけど、KOMAは小さなボートで大海原に出るのをリアルに感じる。それぞれの得意分野を活かして、方位磁石を見たりオールを漕いだり魚を釣って飯を用意する。そこにやり甲斐や楽しみを感じる」 そうそう。ちゃんと伝わってるなぁと思った。 「経営者は孤独」なんて言葉を耳にするけど、それは経営者と従業員の間に立場という垣根を作るからだろう。 トップとしての俺の仕事は仲間を大切にして、示した方向の責任をとるだけで特別な事じゃない。立場じゃなくてただ役割が違うだけだと思っている。 だからKOMAにいるのは経営者とか従業員じゃなくて、少しづつ船が大きくなってちょっと遠くに行けるようになったことを共に喜べるクルーだ。

神代欅のcocoda chair
灰や土砂に1000年以上埋まっていた木のことを神代木と呼ぶ。 神の時代の木という意味だ。 埋まっていた場所の成分により色が変わり、特に緑がかった黒になる黒神代は希少価値が極めて高い。 この黒神代欅は秋田県で採掘されたもので、鳥海山から噴き出した灰によって立ったまま埋まっていたらしい。 2020年の10月に東京中央木材市場で一目惚れをして競りに参加して手に入れた。 「この先はもうお目にかかれないくらいの上物だ」と市場のオヤジも太鼓判をおした銘木中の銘木。 2021年の4月に茨城に上手な製材所があると聞いて神代欅の丸太を持ち込んだ。 大きな製材機のノコが丸太に入ると、今までの製材作業では経験したことのない男性物の香水のような甘くスパイシーな香りが立ち込めた。 丸太の製材は、どんなに高価なものでも実際に切ってみないと分からないという博打のようなもので、切ってみたら全然ダメで大損をこくなんていう事もある。 だから最初の一切り目はドキドキしながら祈るような気持ちでいる。 そして丸太の端から端までノコが通っていざ中身があらわれると、切断面は黄色と淡い緑のマダラ模様だった。 黒色を想像していたから「ハズレか?。。」と拍子抜けしていると。 「これからどんどん濃い緑になっていくから見てな」と製材所のオヤジが言った。 その言葉どおり5分、10分、15分と時を追うごとに黄色だった部分が緑色に変わっていく。 丸太から切り出された板が次々に積み上がっていくと、深みのある香りと共にひんやりとした空気に包まれて、まるで未開の森の奥深くにポツンと立っているような錯覚を覚えるほどだった。 なんだか心地がよくて、ぼんやり目を閉じていたが大きな声でハッと我に返った。 「大当たり!間違いなしの上物だ!」そう言いながら製材所のオヤジが笑っていた。 それから約2年倉庫で自然乾燥をして、待ちに待った製作が始まった。 椅子の形になるまでは順調だったが、いざ刃物の仕上げ作業に入ると何かがいつもと違う。 迷いがあるようで思うように作業が進まない。...
神代欅のcocoda chair
灰や土砂に1000年以上埋まっていた木のことを神代木と呼ぶ。 神の時代の木という意味だ。 埋まっていた場所の成分により色が変わり、特に緑がかった黒になる黒神代は希少価値が極めて高い。 この黒神代欅は秋田県で採掘されたもので、鳥海山から噴き出した灰によって立ったまま埋まっていたらしい。 2020年の10月に東京中央木材市場で一目惚れをして競りに参加して手に入れた。 「この先はもうお目にかかれないくらいの上物だ」と市場のオヤジも太鼓判をおした銘木中の銘木。 2021年の4月に茨城に上手な製材所があると聞いて神代欅の丸太を持ち込んだ。 大きな製材機のノコが丸太に入ると、今までの製材作業では経験したことのない男性物の香水のような甘くスパイシーな香りが立ち込めた。 丸太の製材は、どんなに高価なものでも実際に切ってみないと分からないという博打のようなもので、切ってみたら全然ダメで大損をこくなんていう事もある。 だから最初の一切り目はドキドキしながら祈るような気持ちでいる。 そして丸太の端から端までノコが通っていざ中身があらわれると、切断面は黄色と淡い緑のマダラ模様だった。 黒色を想像していたから「ハズレか?。。」と拍子抜けしていると。 「これからどんどん濃い緑になっていくから見てな」と製材所のオヤジが言った。 その言葉どおり5分、10分、15分と時を追うごとに黄色だった部分が緑色に変わっていく。 丸太から切り出された板が次々に積み上がっていくと、深みのある香りと共にひんやりとした空気に包まれて、まるで未開の森の奥深くにポツンと立っているような錯覚を覚えるほどだった。 なんだか心地がよくて、ぼんやり目を閉じていたが大きな声でハッと我に返った。 「大当たり!間違いなしの上物だ!」そう言いながら製材所のオヤジが笑っていた。 それから約2年倉庫で自然乾燥をして、待ちに待った製作が始まった。 椅子の形になるまでは順調だったが、いざ刃物の仕上げ作業に入ると何かがいつもと違う。 迷いがあるようで思うように作業が進まない。...

チーク材
一番好きな樹種は?と聞かれればチークと答える。 油分を多く含んでいて水に強く狂いも少ない。硬度としなやかさのバランスも良く木材として優れている。 そして他の木材とは明らかに違うしっとりとした触れ心地と経年で濃く赤く艶やかに育っていくのもチークが持つ特徴だ。 木材を切ると樹種によって甘いや酸っぱいなどそれぞれ特徴的な香りが工房に漂う。 チークの香りはツンと尖ってグッと重くてフワッと柔らかい。なんとも表現しづらいが数ある樹種の中でもやはりチークの香りが一番好きだ。 そして削った際に出る粉も他の樹種とは明らかに違う。普通はサラサラだがチークはモチモチしていて握って固められるほど油分が多い。 しかし作り手にとってはこの油分が厄介で、刃物に纏わり付いてすぐに切れなくなってしまう。機械の刃も鉋などの手道具も何度も研ぎ直しながら加工を進めなければならないが、そんな苦労も消し飛んでしまうほど仕上がったチークの木肌は滑らかで心地が良い。 今となっては上物のチークは見かけることすらほとんどない。 だから何かのご縁でたまたま手に入った時は、コイツをどう活かそうかとワクワクしてしまう。 チークとはそんな材木です。
チーク材
一番好きな樹種は?と聞かれればチークと答える。 油分を多く含んでいて水に強く狂いも少ない。硬度としなやかさのバランスも良く木材として優れている。 そして他の木材とは明らかに違うしっとりとした触れ心地と経年で濃く赤く艶やかに育っていくのもチークが持つ特徴だ。 木材を切ると樹種によって甘いや酸っぱいなどそれぞれ特徴的な香りが工房に漂う。 チークの香りはツンと尖ってグッと重くてフワッと柔らかい。なんとも表現しづらいが数ある樹種の中でもやはりチークの香りが一番好きだ。 そして削った際に出る粉も他の樹種とは明らかに違う。普通はサラサラだがチークはモチモチしていて握って固められるほど油分が多い。 しかし作り手にとってはこの油分が厄介で、刃物に纏わり付いてすぐに切れなくなってしまう。機械の刃も鉋などの手道具も何度も研ぎ直しながら加工を進めなければならないが、そんな苦労も消し飛んでしまうほど仕上がったチークの木肌は滑らかで心地が良い。 今となっては上物のチークは見かけることすらほとんどない。 だから何かのご縁でたまたま手に入った時は、コイツをどう活かそうかとワクワクしてしまう。 チークとはそんな材木です。

20年目の今おもうこと
「KOMA20周年のイベントどうするか!?」 そう言ってきたのは創業メンバーの亀井だ。 「え?20年?もうそんな経つの?」 「20周年に対してどう考えてますか?」 そう質問してきたのは取材に来てくれた記者さんだ。 「え?20年?マジですか?」 去年の暮れからいろんな人に何度も言われて、その度に忘れているのがこの「20周年」だ。 そして先日、若いスタッフに「20周年で今思うことを文章にして」と言われたが、書いては消してを繰り返している。 何も思わないはずはないが何も思い浮かばない。すごく有意義な時間だったはずだが、すぐに忘れてしまう程度のそれでもある。 時間なんていうのは曖昧で、平等な様で全くの不公平であると理解している。 何かを積み上げられたのか、それともただ経過しただけなのか、同じ20年でもKOMAの場合はどっちだったのか。 会社を大きくしようとか売上を伸ばそうなんて計画する余裕もなく、ただ潰れないようにやってきただけな様な気もするし、気づけば20名近い優秀な仲間に恵まれてもいる。 自分にとっては大切な時間だったと感じるが、人から見れば鼻で笑うようなそれかもしれない。 やっぱり時間なんていうのはそんなものなんだろう。 何年か前にお坊さんと話す機会があって人生は魂の修行だと聞いた。 本当は成仏したいけど、修行が足りない魂は何度でも生まれ変わって修行しなければならない。だから生まれ変わるっていうのは嬉しいことではないらしい。 宗教には特別な興味はないが気持ちを楽にしてくれる面白い考え方だなあと思ったのを覚えている。 そして何となく自分勝手に人間の10年なんて魂にとっては1時間だと妄想してみる。 80年の長い人生は魂の時間からすると8時間くらいの感覚で「ダルいけど下界で8時間労働してくるわ〜」程度なのかもしれない。 そんなふうに考えると、どうせ8時間の我慢なんだから楽より苦しい方を選択してやろうなんて気にもなる。 さらに、修行が終わって魂になった後まで妄想を膨らませてみる。...
20年目の今おもうこと
「KOMA20周年のイベントどうするか!?」 そう言ってきたのは創業メンバーの亀井だ。 「え?20年?もうそんな経つの?」 「20周年に対してどう考えてますか?」 そう質問してきたのは取材に来てくれた記者さんだ。 「え?20年?マジですか?」 去年の暮れからいろんな人に何度も言われて、その度に忘れているのがこの「20周年」だ。 そして先日、若いスタッフに「20周年で今思うことを文章にして」と言われたが、書いては消してを繰り返している。 何も思わないはずはないが何も思い浮かばない。すごく有意義な時間だったはずだが、すぐに忘れてしまう程度のそれでもある。 時間なんていうのは曖昧で、平等な様で全くの不公平であると理解している。 何かを積み上げられたのか、それともただ経過しただけなのか、同じ20年でもKOMAの場合はどっちだったのか。 会社を大きくしようとか売上を伸ばそうなんて計画する余裕もなく、ただ潰れないようにやってきただけな様な気もするし、気づけば20名近い優秀な仲間に恵まれてもいる。 自分にとっては大切な時間だったと感じるが、人から見れば鼻で笑うようなそれかもしれない。 やっぱり時間なんていうのはそんなものなんだろう。 何年か前にお坊さんと話す機会があって人生は魂の修行だと聞いた。 本当は成仏したいけど、修行が足りない魂は何度でも生まれ変わって修行しなければならない。だから生まれ変わるっていうのは嬉しいことではないらしい。 宗教には特別な興味はないが気持ちを楽にしてくれる面白い考え方だなあと思ったのを覚えている。 そして何となく自分勝手に人間の10年なんて魂にとっては1時間だと妄想してみる。 80年の長い人生は魂の時間からすると8時間くらいの感覚で「ダルいけど下界で8時間労働してくるわ〜」程度なのかもしれない。 そんなふうに考えると、どうせ8時間の我慢なんだから楽より苦しい方を選択してやろうなんて気にもなる。 さらに、修行が終わって魂になった後まで妄想を膨らませてみる。...

スタート地点
高校生の頃、無気力にブラブラしている愚息を見て「出てけ」と親父は言った。 「そりゃそうだな」それに従って卒業と同時に実家を出た。 初めての一人暮らしにワクワクしたが、すぐに金が底をつき家賃を滞納し始めた。 道路工事や深夜の工場などで日雇いバイトをしていたが電気、ガス、水道と順々に使えなくなっていき、水は公園に汲みに行った。いつも腹が減っていた。 そんな俺を気にかけて、アパートの隣に住む大家さんがよくご飯をお裾分けしに部屋まで来てくれた。 その度に「もっと部屋をきれいに使え」だの「若いのに昼間からゴロゴロして」だのと説教じみた事を言ってきた。 その日は、そんな小言から免れようと適当に話をふった。 「あっそう言えば!この天井のシミってなんすかね?」 木板の天井には何かを貼って剥がしたような日焼けの跡がついていた。 「君の前の住人は美大生で、描いた作品を部屋中に貼ってたんだよ」 そう聞いた瞬間にずっと忘れていた記憶の隅っこをポツッとスポットライトが照らすような感覚を覚えた。 俺も子供の頃は絵を描くのが好きだった。いやそれどころか、よく賞をもらったり地域の美術館で展示されたりして、区から送られて来る画材で絵を描くような子供だった。 とにかく日がな一日絵や工作に夢中だったのに。いつから忘れてた? 居ても立っても居られなくなって、大家さんにお礼を言ってすぐに部屋を飛び出した。 友達が通っていると言っていた美術予備校に向かった。 ちょうど夏期講習のタイミングと重なって何だか上手い具合にワチャっと紛れ込み、対象物を囲むようにして行う15人程度のデッサンの輪の中にしれっとイーゼルとスツールを置いて、借り物の画材で授業を受けた。 水道代も払えないような人間に授業料など捻出できるはずもなかったが、次の日もその次の日も当たり前みたいな顔をして一月ほど通った。 そんな事とは露知らず、若い講師は丁寧に教えてくれて「オマエは絵心があるよ」などと褒めてくれた。 ...
スタート地点
高校生の頃、無気力にブラブラしている愚息を見て「出てけ」と親父は言った。 「そりゃそうだな」それに従って卒業と同時に実家を出た。 初めての一人暮らしにワクワクしたが、すぐに金が底をつき家賃を滞納し始めた。 道路工事や深夜の工場などで日雇いバイトをしていたが電気、ガス、水道と順々に使えなくなっていき、水は公園に汲みに行った。いつも腹が減っていた。 そんな俺を気にかけて、アパートの隣に住む大家さんがよくご飯をお裾分けしに部屋まで来てくれた。 その度に「もっと部屋をきれいに使え」だの「若いのに昼間からゴロゴロして」だのと説教じみた事を言ってきた。 その日は、そんな小言から免れようと適当に話をふった。 「あっそう言えば!この天井のシミってなんすかね?」 木板の天井には何かを貼って剥がしたような日焼けの跡がついていた。 「君の前の住人は美大生で、描いた作品を部屋中に貼ってたんだよ」 そう聞いた瞬間にずっと忘れていた記憶の隅っこをポツッとスポットライトが照らすような感覚を覚えた。 俺も子供の頃は絵を描くのが好きだった。いやそれどころか、よく賞をもらったり地域の美術館で展示されたりして、区から送られて来る画材で絵を描くような子供だった。 とにかく日がな一日絵や工作に夢中だったのに。いつから忘れてた? 居ても立っても居られなくなって、大家さんにお礼を言ってすぐに部屋を飛び出した。 友達が通っていると言っていた美術予備校に向かった。 ちょうど夏期講習のタイミングと重なって何だか上手い具合にワチャっと紛れ込み、対象物を囲むようにして行う15人程度のデッサンの輪の中にしれっとイーゼルとスツールを置いて、借り物の画材で授業を受けた。 水道代も払えないような人間に授業料など捻出できるはずもなかったが、次の日もその次の日も当たり前みたいな顔をして一月ほど通った。 そんな事とは露知らず、若い講師は丁寧に教えてくれて「オマエは絵心があるよ」などと褒めてくれた。 ...